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『不死身の男』と『バトルランナー』 (1022文字)
かつて『不死身の男』というアメリカテレビドラマがありました。視聴率はよくなかったと思うので、初耳という人が多いと思います。
主演は『ラット・パトロール』のトロイ軍曹役でお馴染みのクリストファー・ジョージでした。
この主人公の血液は、あらゆる病気に免疫を持つ特性を持っており、そのため主人公は不死身だという設定でした。また、彼の血液型はO型なので誰にでも輸血可能ということでした。
彼の血液を輸血すれば不死になれるため、余命の長さに不安を持つ金持ち達が主人公の血液を欲して主人公を捕らえようとするという物語です。
主人公の名は、ベン・リチャーズといい、職業はテストドライバーでした。だから、毎回カーアクションのシーンが設けられており、私はそれを楽しみにしていました。だから、細かなストーリーはまったく覚えていません。
主人公からの輸血によって、疾病で死ぬことが無くなったとしても、老衰(「ろうすい」 Senility。加齢により脳を含めた全臓器・細胞の力がバランスを保ちながらゆっくり命が続かなくなるレベルまで低下していき死亡すること。)によって失われることがあるわけですから。「病気に強い。じゃあ不死身だ。」とはならないと子供ながらに思っていました。このようなドラマの設定に対する矛盾を感じたので、ドラマ自体の関心は希薄になっいきました。だから、最終回を観たのかどうかさえ覚えていません。
それからかなり経って、映画『バトルランナー』(アーノルド・シュワルツェネッガー主演)をテレビで観たとき、主人公の名前がベン・リチャーズであったので、『不死身の男』を思い出しました。
主人公の名が同姓同名という映像作品って、『不死身の男』と『バトルランナー』くらいしか記憶にありません。
バトルランナーの設定って、古代ローマの「パンとサーカス」(権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によってローマ市民が満足して政治的無関心になっていることから、物質主義の例えとしてしばしば用いられる名言であり警句。)の政策がヒントになっているような気がします。
『不死身の男』が扱う不死という人間の屈折した自己実現欲求と、『バトルランナー』が扱っていると思われる国民の白痴化政策。両方の作品には、各々重たい作品意図があるのでしょうが、私はまったく気付かずにいました。
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