「楽しい」が基準 (979文字)
以前、コント師ロッチの中岡さんが、「なにかやり遂げるには苦しまなければならないと思っていたけど、(相方)コカド君の『楽しさ』を求める姿勢を見て、楽しさもいいもんやなぁと思うようになった。」と言うのを聞いて、「そうかぁ。」と思いました。そのときは私も「成功は苦しんで掴むもの。」と思っていました。
その後、同じコント師ゾフィーの上田さんがゾフィーを解散するかどうか迷っていたとき、当時付き合っていた彼女(今の奥さん)から「一緒に仕事していて楽しくないんだったら解散した方がいい。」と助言されたという話を聞き、「ロッチの中岡さんと同じ考えだ。」と思いました。
以来、私は「楽しいかどうか」を重要な判断基準にしています。
そういえば、「(このひとと)一緒にいたら楽しいだろうなぁ。」と思って結婚したのでした。
仕事は、私にとって嫌な仕事というものはなくて、今まではどんな仕事でも、「私が改革する。」とか「もっと効率よくすることができるはずだ。」と思うので、新たな業務も火中の栗を拾うかのような人事異動も、結局楽しくなります。
ところで、「楽しい」と「面白い」とは違っていて、面白くないことでもやっていて楽しいことがある半面、面白いことでもやっていて楽しくないことがあります。
苦手なこと(つまり面白くないこと)でも、日々やっているとだんだん上手くなってきて、自分の成長を実感すると楽しくなります。
逆に、得意な仕事でも(つまりやるのが面白いことでも)邪魔が入ったり(上司が邪魔になることはよくあります。)、すんなりいかない事情があったりすると楽しくなくなります。
以前、独学でプログラム言語のC言語を勉強したことがありました。
独学だから分からないことがあっても誰にも質問できません、だから躓(つまづ)いたときの四面楚歌感はハンパなかったです。でも、「今、(自分は)コンピュータ・テクノリジーとがっぷり四つだ。四つに組んでいるんだ。あのビル・ゲイツに挑戦しているんだ。」という気持ちで楽しかったため、気落ちすることなくガンガンやることができました。なお、C言語とビル・ゲイツとは直接関係ないのですが、ビル・ゲイツはコンピュータソフトウェアの象徴でしたからそう思いました。そういう思い込みも含めて楽しさです。
#創作大賞2024 #エッセイ部門 #楽しい #C言語
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