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「あっ、知ってる!」と思った話 (1914文字)

 私は社会人ですが、とある理由で高校の科目学習をしています。
 この前『荒巻の新世界史の見取り図 上巻』(荒巻豊志著 東進ブックス)を読んでいて、その120ページに「実は、一度だけアウグストゥスは手痛い敗北を喫しています。ゲルマン人との戦いです。紀元後9世紀にトイトブルクの戦いで破れ、ライン川東への進出が失敗に終わります。」という箇所を読み、「あっ、知ってる!」と思いました。

 以前『英文法を撫でる』(渡部昇一著 PHP新書)で読んだ覚えがあったのです。
 この本では、ドイツ語は英語に比べて極めて保守的であったことの歴史的背景としてトイトブルクの戦いについて触れています。
 アルミニウスArminius(ドイツ語ではヘルマンHermann)は、「西暦9年、彼は策を用いてワールスとローマの三個軍団をトイトブルクの森(Teutoburger Wald)にさそいだし、全滅させたのであった。ワールスも戦死し、ローマの軍団の三つが消え、それと共に『ローマ軍は不敗である』という信仰も消えた。ローマ帝国のゲルマニアの前線は、一挙にWeser(ヴェーゼル)川からRhein(ライン)川まで大幅に後退してしまった。 その後ローマ帝国の領土がゲルマニアの内部に伸びることはなく、ドイツ語圏はフランスやスペインのようなラテン語圏になることはなかった・・。」(前掲書27ページ)。
 (ワールスというのは、西暦7年に将軍の交代で、ローマからやってきたローマ軍の司令官です。このワールスがゲルマン人の古い習俗を根こそぎローマ風に変えようとしたことからこうなったのです。)
 この本にこの記述があることを覚えていました。

 ゲルマン人にこのような歴史があるのなら、後に神聖ローマ帝国となったときのカール大帝の気持ちはなんとなく想像できます。

 この本は、英語の成り立ちについて触れているので、後々英語を学ぶときに凄く役立ちました。
 それが、今回は世界史の本の「ローマの章」を読んでいて繋がったわけです。このとき、脳内に快楽物質が盛んに放出されていたものと思います。それくらい興奮しました。

 もし、このときローマ軍が勝っていたら、西ヨーロッパはどういう風になっていたでしょう。二度の世界大戦は起きなかったかもしれませんし、そもそも普仏戦争もなかったかもしれません。尤も、ドイツとフランス(ゲルマニアとガリア)が同じ言語を使ったからといって、争わないとは限りませんが。
 また、低地ドイツ語がブリテン島に渡り英語の元になったと言われているので、トイトブルクの森の戦いでローマ軍が勝っていたら現在の英語もラテン語に近いものになったでしょう。そもそも英語は、今まで何度もピンチになり、「もうだめだ。」というところまで追い詰められています。それに、英語はラテン語からの借用語がたくさんあります。だから、英語がラテン語的になっても不思議はなかったでしょう。その代わり、世界中に広まったかどうかは分かりません。

 「あっ!」と思ったこととして、この本に第二次大戦後にドイツに進駐してきたイギリス兵の使うドイツ語の話があります。
 ドイツ語をやった方ならお分かりと思いますが、ドイツ語って名詞の語尾変化があり、また冠詞にも語尾変化があります。ドイツ語の冠詞はder,des,dem,den・・・と変化し16の使い分けをする必要があります。なのに、そのイギリス兵達はすべてde(デ)とだけで済ましていました。「つまりドイツ語の冠詞の変化などという面倒なことを一切抜きにして、共通の語頭音であるd-だけを使っているのだ。」「古英語の冠詞の大部分は」「th音[θ]で始まる。だからイギリスの兵士たちがすべてのドイツ語の冠詞をde-にしているように、ヴァイキングたちもすべての定冠詞をtheにしたのであろう。」(63ページ。一部古英語の表記は文字変換できなかったので省略しました。)。
 (古英語(こえいご。Old English)は、450年頃から1150年頃までイングランドで使われました。このあと英語は中英語・近代英語となっていきます。古英語はイギリス人も専門家以外は分からないそうです。
 なお「英文学は中英語のチョーサーから始まる。」と言われるのは、古英語の文章だと読めないから、という事情があるからなのでしょうか。ちなみに私はチョーサーの『カンタベリー物語』の文庫本を持っていますが、まだ読めていません。
 古英語の作品では『ベオウルフ』が有名なようですが、私は名前しか知りません。)

#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門 #英文法を撫でる #トイトブルクの戦い #アウグストゥス

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