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日本の黒い霧 松本清張の筆力と事実

 私にとってノンフィクションといえば、故松本清張さんの『日本の黒い霧』がまず思い浮かびます。
 この本は、父母が読んでいたので子供ながらに「重要な内容に違いない。」と感じていました。当時ままだ幼稚園に行っていた頃ですからね。

 私は「黒い霧」という題名の意味を、戦後の占領政策と朝鮮戦争に対応する政策との間で暗躍する諜報機関や共産主義者たちに治安を害され将来の見通しが暗かった当時を表しているものと解釈しています。
 当時のような政府の上にGHQ(連合国最高司令官総司令部)がいる政治構造では、ほとんど独裁者に牛耳られているようで、国民は安心できなかったでしょう。そうでなくても、物資は不足し、物価は統制され、闇市でないと生活必需品が買えず、街には浮浪児が溢れ、「特攻帰り」と称するゴロツキが跋扈(ばっこ。勝手気ままに振る舞うこと。)し、反社(やくざですね)が我が物顔に支配していた時代ですから、未来に限りない不安を感じていたとしても不思議ではありません。(当時のことを、なべおさみさんが『やくざと芸能界』などに書かれています。恐らく本当のことだと思います。)

 そんなとき、様々な事件が起きます。
 そんな一群の事件の中でも、当時の国鉄総裁が失踪しその後轢断されて見つかったという「下山事件」はものすごい大事件だったでしょう。警察も現代のような科学捜査ができるわけもなく、GHQの人間が来て警察の捜査方針に干渉するしで、その時代の不安を増幅したであろうことは想像に固くありません。
 そんな時代の事件をドキュメンタリータッチで描いた『日本の黒い霧』は、恐らくほとんどの日本国民が肯定的にその内容を捉えたものと思います。
 現代では、「下山事件は自殺」ということで結論が出ているそうですから、松本清張さんの推理は外れているっぽいですが、今後また新たな事実が発掘されないとも限りません。
 本当のことはやはり薮の中という感じがします。
 たまに、映画でCIAが中米や西アジアの国の混乱させる陰謀を描く内容のものを観ると、『日本の黒い霧』が思い出されてあまり映画にのめり込めません。

#ノンフィクションが好き #日本の黒い霧

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