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『評決』 陪審員の役割



1 はじめに

 いわゆる「法廷もの」と言われる映画は、そのほとんどが刑事事件を扱っており、本作のように民事事件を扱ったものは少ないようです。
 恐らくその理由は、①刑事事件の方が観衆の興味を引きやすい。②刑事事件は、国(検察官)対被告人という構図なので、善(多くの場合被告人)悪(多くの場合検察官)の色分けが容易である。③民事事件だと話が複雑になり内容を映画で伝えることが難しい。のではないかと思います。
 この『評決』は、民事事件、それも医療訴訟を扱っています。医療訴訟では、医学的知見を踏まえた主張をする必要があるので、当事者(原告と被告)は、各々が専門家に鑑定を依頼します。医学のことなら「真実はいつも一つ」と名探偵コナンみたいに簡単に片付くかというと、そういうことはなく、医学の各分野でいろいろ見解の相違があります。当事者(原告と被告)は、その見解の中で自己に有利なものを元にして主張し、その裏付けとなるものを証拠として提出します。
 当事者で対立する見解を各々主張立証するわけですから、裁判所はどちらの主張を認めるべきか検討する必要がでてきます。そこで、日本には鑑定人手続があります(民訴212条〜)。このことはアメリカ各州の訴訟手続きでも同じではないかと思います。こういう裁判手続きを時間の制約のある映画という媒体で再現するのはかなり難しいと思います。
 この『評決』では、そこのところをうまく回避していて、争点(当事者が争っている主要事実の有無)を主治医の過失の有無に絞っています。つまり、産婦人科医が出産の手術をする際に、患者に麻酔を掛けて大丈夫かどうかの注意義務を怠ったか否かを争点にしています。「現実に患者の状態が悪化している(植物人間になっている)のだから、医者が悪いに決まっているじゃないか。」という見解もあるでしょうが、①「医師が治療した。患者の容態が重篤化した。」ということと、②「医師が治療したから患者の容態が重篤化した。」というのとでは大きな違いがあります。①では、医師の治療と患者の容態の重篤化との間に原因結果の関係(因果関係)があるかどうか分かりません。②では、医師の治療と患者の容態との間に原因結果の関係(因果関係)があります。つまり、②であることを証明しない限り、そしてその証明を裁判所が認めない限り、原告の請求(多くの場合損害賠償の請求)は認められません。

2 主人公の造形

 『評決』の主人公(ポール・ニューマン)は、落ちぶれたアル中の弁護士です。彼は、葬儀会場に行き、故人の近親者にお悔やみを言い、「困ったことがあったら連絡してください。」と名刺を渡すという営業を続けています。ある日、こんな死肉を漁(あさ)る禿鷹(はげたか)みたいな営業行為に怒った親族から殴られ、葬儀会場の経営者から「もう来ないでくれ。」と出入り禁止を言い渡されてしまいます。
 「いよいよもうだめか。」と思ったとき、先輩の弁護士から簡単な仕事を回してもらいます。医療ミスで植物人間になった主婦の事件で、示談でカタがつきそうです。相手は大病院で、示談金などなんとも思っていないでしょう。それより病院が批判され評判が落ちることを恐れていると思われます。

 主人公は病院に行き、その植物人間になった主婦を見舞います。
 機械に繋がれ、決して目覚めないであろう主婦。
 出産のために病院を訪れただけなのに、一生このままで自分が産んだ子を見ることもできません。
  「これでいいのか。示談のこれっぱりの金額(この時点では想定金額)を依頼人に渡すだけでいいのか。」と熱くなる主人公。しかもこの事件は、裁判で勝てる見込が高い。
 主人公は、示談ではなく、訴訟に踏み切ります。恐らく、彼は今までの弁護士としての自分の振る舞い(葬儀会場営業)を恥じており、自分の弁護士としての再起も考えていたでしょう。映画『ロッキー』の主人公が、失ってきた自分の人生を取り戻そうとするのと同じです。

3 判例法の国の訴訟準備

 主人公は、訴訟の準備に数々の連邦裁判例や裁判例を言い、その資料を準備します。「すごい記憶力だな。」と驚く先輩弁護士(上記の示談となるはずの事件を持ってきてくれた人です。)。主人公は「先生(その先輩弁護士)がよかったですからね。」とお世辞を言います。それくらい、訴訟の未来に明るい見通しを持っていました。
 私は、判例法の国の訴訟準備というものをはじめて見ました。この準備方法だと争点だけでなく、手続上の点についてもガチガチに裁判例を調べなければならないですね。

4 相手方訴訟代理人の妨害

 主人公は訴えを提起する方(ほう)ですから原告になります。一方訴えられる方(ほう)は被告になるのですが、被告は大病院で豊富な資金力があります。強敵です。
 案の定、被告は一流の弁護士事務所に訴訟代理を依頼します。
 あるとき、一流弁護士事務所の所長(男)は部下にこう言います。「弁護士はベストを尽くすことが仕事じゃない。訴訟に勝つことが仕事だ。」と。
 そういう男ですから、汚い手も使います。美貌の女弁護士を主人公の側に近づけ、主人公(原告)の訴訟活動をスパイさせます。
 そういう何が何でも勝訴するという弁護士相手に、主人公は戦いますが、訴訟が進むに連れて劣勢になっていきます。原告側の証人が突然証言を拒否したり、急な海外赴任で出廷できなくなったり、最後の証人は被告の病院をクビになった看護師ですが、彼女がよりどころにしていたメモがコピーだったため、証拠採用されませんでした。原本が存在する場合は、コピー(写し)は証拠と認められないというアメリカの裁判例があるそうです。証拠採用するかどうかは裁判官が決めます。
 民事裁判は、弁論主義の下で行われます。弁論主義では、「当事者に争いのない証拠は判決の基礎にしなければならない。」とされています。なのに、このメモは証拠にすらなりません。
 裁判長は、陪審員に重ねて「原本がある以上、このメモのコピーは証拠になりません。」と言います。証拠の法的判断基準を改めて示したのです。

 完全に主人公の、原告のピンチです。
 とうとう、主人公(原告の訴訟代理人)は訴状に書いた請求原因を立証できませんでした。
 主人公は、最終弁論で陪審員の魂に訴えようと熱弁を奮いますが、心の中では敗訴を予感しています。

 最終弁論の後、陪審員らは審議に入りました。
 法廷で結果を待つ主人公と先輩弁護士。二人とも敗訴を予想していますから、重苦しい感じです。

 「やっと、自分の本当の人生に戻れる、葬儀会場での営業ともおさらばだ、と思っていたのに。しかも、正義感に燃えて訴えを起こしたのに敗訴することになるとは・・・。こんなことなら、示談にしとけばよかった。そうしたら、植物人間になってしまったあの主婦やその家族会議もかなりのカネを受け取れたのに。敗訴したら何も貰えない。何と言ったらいいのだろう。」
主人公はそう考えていたでしょう。


5 評決と過去の判例(裁判例)との抵触

 審議を終え、陪審員らは陪審員室から出てきました。

 裁判長「陪審員のみなさん。評決に達しましたか。
 首席陪審員「はい、裁判長。評決に達しました。」
 裁判長「では、評決を言ってください。」
 首席陪審員「陪審員は、原告の主張を全面的に認め、被告に賠償支払いの義務があると認定します。」

 原告勝訴です。あまりの意外さに主人公も先輩弁護士も裁判長もあっけにとられます。しかし真の驚きはここからはじまります。

 首席陪審員「裁判長、賠償の金額は変更できるのでしょうか? 原告の請求を超えた賠償を認めることが私たち(陪審員)にできるのでしょうか?」
 裁判官「できます。限界はありません。すべては証拠と法に基づいて決められます。一旦退廷して賠償の金額を決めてください。」
 裁判官の「すべては証拠と・・・」という言葉は、上記の証拠不採用にも関わらず原告勝訴の評決をした陪審員への当てつけでしょうか。そうだとしても、評決は下されました。

 閉廷した法廷から主人公も先輩弁護士も傍聴人も出てきます。主人公らが正面階段を下りているとき、彼らを追い越した傍聴人の一人が振り返って握手を求め「お見事でした。」と言うと、また走って行きました。
 裁判所から出るとき、警備員も「おめでとうございます。」と声を掛けました。

 数時間後、主人公は自分の事務所で自分の椅子に座り、今日の法廷での出来事を思い返しています。すると、電話がなります。恐らく、主人公らをスパイしていた女性弁護士からです。
 主人公は、電話をとらず、コーヒーカップを口に運びます。
 こんなときに酒を飲まないとは。
 主人公には、もはやアルコールの必要はなくなったのでした。

6 総括

 映画としてはいいハッピーエンドですが、上記で触れたとおり陪審員の評決は裁判手続きとして、あれでよかったのでしょうか。私たち観衆は、裁判手続きの全部を見ているわけではありませんから、「原本が存在する状況でのコピーの証拠提出は認められない。」という一事が本訴えの結果を左右するものなのかどうかはっきりとは分かりません。しかし、陪審員の審議中の主人公らの暗い様子をみると、この訴訟が原告劣勢だということは分かります。また、裁判長の当該メモ(コピー)について証拠性がないという言及。やはりあのメモ(コピー)の証拠採用の有無は評決に大きな影響を与えるものだったように思います。
 とすると、陪審員の結論は、何を根拠にしているのでしょう。映画で見ている限り、原告はほとんど自らの主張を立証できていません。なのに、原告勝訴ってことは、原告への同情と被告の訴訟態度が悪さという印象で、評決したのでしょうか。

 と、いろいろ考えることはできますが、評決は出ました。これには従わざるを得ません。不服なら連邦裁判所への上告するしかありません。それが、裁判のルールです。

 私としては、原告が勝ってよかったと思います。


以上

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