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『幸福な王子』 大衆の盲目、主の万能賛歌

 『幸福な王子』は、同名の短編集(オスカー・ワイルド著 西村孝次訳 新潮文庫)に収められています。また、童話として有名ですので、児童書でもよく目にします。

 私は、「名作とは、まず面白いこと。次に何度も読むうちになんとなく作者の真意を感じることができる作品。」と思っています。これは、小説以外の映画、戯曲、詩(歌の歌詞も含みます)などについても当てはまると思います。

 この『幸福の王子』は、登場人物である王子の像が王子という地位に相応しい振る舞いをし、その従者として善行の手伝いをするつばめの物語です。
 王子とつばめは、最終的には死にますがその死後、天使により「町じゅうでいちばん貴いもののふたつ」として神の御許(みもと)に届けられます。
 このストーリーは、美しい善意の物語となっています。

 でも、この王子とつばめと対比して描かれる市長と大衆の愚かしさは、王子の「民に心を砕く」統治者としての品性とは真逆で、私たちに「この市長も大衆も、王子が文字通り身を削り、またつばめが命を賭けるほどの価値があったのだろうか。」という疑問を投げかけます。

 大衆の愚かさ、欲深さ、扇動されやすさ、恩知らずさ、などはいろいろな文芸作品に描かれています。
 王子もこのことを知っていたはずです。王子はそれでも身を削って救済を試みます。ほとんど無意味な苦役といってもいいでしょう。つばめもその王子の心に打たれその願いを叶え、結局は大衆救済に命を懸けます。

 これらのことから、『幸福の王子』のテーマは大衆の愚民性とそれを救済しようとする者のはかなさということになりそうです。

 でも、この王子とつばめの死後、天使が王子の鉛の心臓と死んだ小鳥(つばめ)を神の許に届けたとき、神は天使に「おまえの選択は正しかった」「天国のわたしの庭で、この小鳥が永遠に歌いつづけるようにし、わたしの黄金の町で幸福な王子がわたしを賞(ほ)めたたえるようにするつもりだから」と言われます。
 ここにそれとなく神の万能性が描かれています。神は、天使が王子の心臓とつばめを貴いものとして評価したことの正当性をご存知だったのです。
 「だったら、もっと前に王子とつばめに力を貸してやればいいのに。」と私なんかは思います。逆に「大衆にそこまで尽くす価値はないよ。」と教えるという方法もあったでしょう。
 さらに、王子とつばめは「天国で幸福に暮らす」のではなく、つばめは「永遠に歌いつづけ」王子は「わたし(神)を賞(ほ)めたたえ」なければなりません。
 善行を行い死んだ者ですら、死後も神の意志にしたがって行動しなければならないという、逆にいうと、神には生前に善行を行った者(彼らには聖人となる資格があるように思えます。)でさえも意のままに扱う権威と能力があるわけです。

 作者オスカー・ワイルドがこの『幸福の王子』に込めた真意は、神批判なんじゃないかと感じます。
 

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