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『傘がない』 の詞の解釈(1171文字)

 『傘がない』は有名な歌なので、詳細は書きません。
 いきなり詞の技法について語ります。

 私が思うに、「いいな」と感じる歌の歌詞は、内容が聴く人の精神に訴えかけるだけでなく、脳にもなんらかの働きかけをしています。
 しかし多くの場合、聴衆はあまりにも詞の内容に引っ張られるので、技法について考えることに思い至らないのだと思います。
 ですから、その歌がヒットしてからしばらく期間を置くと、一時の熱も冷め比較的冷静に詞を見つめ直すことができそうです。

 『傘がない』は、一番と二番で構成されています。(ここでは、著作権に配慮して歌詞の全文を載せることはしませんので、必要に応じてネットで参照してください。)
一番は、「都会では」から「それはいい事だろう?」まで、
二番は、「テレビでは」から「それはいい事だろう?」まで
後は、サビの部分の繰り返しになります。

 一番と二番に共通しているのは、社会問題よりも自分の恋愛を重視する主人公の心情ですが、その重視の度合いは屈折していて身辺のささいなことと思われる雨に濡れることは気にしています。主人公は、雨の日なのに傘がないことが恋愛の小さな障害と捕らえているようです。

 この曲が発表された当時は、社会に絶望した若者という構図が流行っていて、社会問題に無頓着というのがトレンドだったのかも知れません。
 この曲を聴いてしばらくはそう感じていました。つまりはいい曲だと思いながらも聞き流していたのです。
 しかし、当時のフォーク会の大スター吉田拓郎さんがフォークファンから忌避されましたが、井上陽水さんその後のニューミュージックの起点となる音楽家だったのに、フォークファンは忌避しませんでした。それは、吉田拓郎さんは「反戦」や「貧乏な庶民情景」を歌わないことから裏切り者みたいに思われていたのに、井上陽水さんは、最初からフォークの人ではないという風に認知されていたからだと、ある音楽評論に書かれていてました。
 だとすると、この曲ってそういう当時の若者文化に阿(おもね)って作られているはずはありません。

 いろいろ考えているうちに、主人公の恋愛の相手はすでにこの世の人ではないのかと思うようになりました。
 歌詞には「君に逢いに」と書かれているだけで、「君」の具体的なことは書かれていません。
 主人公が雨の中に行く先も 「君の町」であり「君の家」です。
 目的が、故人とのお別れとか、成仏を祈ることでないとは断言できません。

 そう考えると、主人公が社会問題に無関心なことも、「雨が自分を引き止めている」風な心情も不自然ではありません。でも、行かなくちゃなりません。
 だから、「君の事以外は考えられなくなる」とか「つめたり雨が僕の目の中に降る」という歌詞もすんなり理解できます。

 この理解正しいと思いますか。

#傘がない #井上陽水

 

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