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日本観の変遷 (1092文字)

 私が学生時代の頃は、活字文化が盛んでしたので知識を仕入れる主な手段は書籍でした。
 新刊本が1000円程度でしたから、まぁまぁ買うことができました。古典的名著と言われる本は文庫で読みました。今と違い当時の文庫本はかなり安くて助かりました。比較的新しい内容で安価な情報を得るなら新書というのもありました。

 その当時、日本劣等観とでもいうべきものが多くて、評論を読むと「だから日本はダメなんだ。」という論調が多くて、「世界で最も遅れた国、それが日本」とでも言いたげでした。
 『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ペンダサン)のように主観をできるだけ排した比較論的な評論もありましたが(この本の作者がユダヤ人なのか日本人なのかという点でも話題になりました。)、そういう例外を除いて多くの本は「西洋は進んでいる。それに引き換え日本は・・・。」とか「日本はK国を植民地化しひどいことをした。C国は毛沢東の指導の下、農業や鉄鋼もすばらしい生産力の向上を果たしている。」などと書かれていました。テレビでも社会党(現在は社民党)を支持する司会者(元放送作家で人気者でした。)や元ジャズ評論家等が番組を仕切っていて、要所要所で前述のようなことを言っていました。
 言論界も放送界も「日本叩き」が一種のトレンド(trend。流行)でした。
 情報発信者はだいたい左寄りでした。映画界もそういう傾向が強かったと思います。

 そして、現代ですがYOUTUBUには「日本はこんなに素晴らしい。」とか「日本は世界の国々からこんなに評価されている。」といった内容の動画が多くなったように思われます(私の視聴傾向に沿った動画がお勧めに表示され、私はそれを中心に動画を視聴しているわけですから、この感想は私特有のものかも知れません。)。

 日本国は母国ですので、母国が素晴らしい国であるということは疑いませんが、それは主観であって、客観的にはまた別の話になるかもしれません。すから、あまりに褒められ続けると、逆に昔の日本叩きの記事が跋扈(「ばっこ」。のさばりはびこること。)していた時代を思い出したりします。日本という国について、褒めるかけなすという二項対立(二つの概念が対立や矛盾の関係にあること。また、その概念によって世界を単純化して捉えること。)としか語れないというわけではないとは思います。

 そもそも世界に国々って、日本にどれくらい関心があるのでしょう。多くの国や地域の人々は、そもそも外国に関心を持っていないように思います。

 それはそうと、日本の実態でどういうものなのでしょう。

#創作大賞2024 #エッセイ部門 #日本観
 

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