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「チャレンジして『自分が失敗』するほうが、『代役が活躍』するよりも断然マシ」という里崎智也の精神 (2401文字)

 この「チャレンジして『自分が失敗』するほうが、『代役が活躍』するよりも断然マシ」は、『エリートの倒し方』(元千葉ロッテマリーンズ選手 里崎智也著 飛鳥新社)の第2章35節(168ページ)の表題です。
 この『エリートの倒し方』という本には、野球無経験者の私にも理解できる内容が数多く書かれていて、里崎さんが自分の経験や知見の整理とそこから論理的帰結を導き出す力は凄いなあと思います。里崎さんは、コーチや監督になるお気持ちはないそうですが、すぐにでもGM(ゼネラルマネージャー)をする能力があるような気がします。いや、球団副社長でも大丈夫だと思います。

 ところで、「チャレンジして自分が失敗する」ということの意味です。
 「チャレンジ」ですから自分としては「過去に経験がないことをするってこと」か「既にその分野に権威者がいるけど、新参者としてやってみる」ということになります。
 そういうとき、組織の内部には①「組織の健全な発展を促そう」という力の他に②「群れから抜けだそうとする者を引き戻そう」という力も働きます。
 先輩や同僚が「やって失敗したら大変だぞ。」とか「あんまり飛び跳ねたことしない方がいいぞお。」などと助言して来るというようなことです。
 ②はまったく内向きな力で、存在自体負の要素しかないのですが、語り口が「お前のためを思って」という親切そうな衣(ころも)を纏(まと)っているので、簡単に「うっせえな。やる気がないなら黙ってろ!」と言うわけにも行きません。
 彼ら(先輩や同期)は彼らで、他人が成功すると困るので、自分らの生き残りのためにというか自分らが過ごしやすいように自分たちの巣の周りから異物を取り除こうとしているのでしょう(というのが私の解釈です。)。

 ところで、こういうチャレンジって仮に失敗しても思ったほど人事評価でマイナスされません。失敗したので成果にはなりませんが、チャレンジしたという点は積極性として評価されることが多いです。もっとも、余程組織に損害を与えたというような場合は別ですが、そんなことになったら上司の方がより重い責任を問われますから、そうなる前になんとかしようとするでしょう。つまり、チャレンジ失敗を恐れる客観的要素はとても小さいわけです。
 それより、うまくいった場合、その方面の先駆者となることができます。仮に失敗したとしても、チャレンジしている過程は迷いや決断の繰り返しですからその経験は自分を成長させます。これは、チャレンジに失敗した場合でも同じです。成功も失敗も、結果が異なるだけでそのプロセスが自分の糧(かて)になることには代わりありません。

 一方、チャレンジする者(チャレンジャー)が群れから飛び出ることを阻止しようとした先輩や同僚にとって、そのチャレンジャーが新たな脅威になるので、すぐにそのチャレンジの結果をけなそうとします。
 コロンブスがアメリカ大陸を発見したときに(コロンブスが着いたのはアメリカ大陸でなくて西インド諸島だったということと「発見」というのはヨーロッパ人の視点であってネイティブはずっと前からアメリカ大陸に住んでいた、ということは承知しています。)、「コロンブスはただ船で西に向かって進んだだけでたいしたことではない。」という批判にさらされたことと似ています。
 これに対してコロンブスは「このゆで卵をテーブルに立ててみなさい。」と言ったといいます。
 このコロンブスが出した課題にその場にいた人は誰も答を見つけられませんでした。
 コロンブスの答は、「ゆで卵をテーブルに軽く叩きつけその底を割って立たせる。」というもので、「答を見れば誰でも簡単というが、誰もできなかったではないか。」というもので、人間の虚栄と軽薄を的確に指摘しているように思います。

 私は、「チャレンジャーは組織の足引っ張り連中とお別れできる」ので、それだけでもチャレンジは価値があると思っています。

 そういう「虚栄心は一人前だが怠惰な連中」は、いざというとき役に立ちません。負担やリスクから逃げます。これは過去の経験から断言していいと思います。

 話を戻します。
 この「チャレンジして『自分が失敗』するほうが、『代役が活躍』するよりも断然マシ」の節の冒頭に「上司から、『この仕事、誰かやってくれないか?』と言われたとき、まっさきに手を挙げていますか? 才能がないのに一番になりたいのなら、そういう場面で『やらせてください!』と手を挙げるしかありません。 『他の仕事が忙しいし』『まだそこまでの実力はないし』なんて言い訳している間に、他の人が手を挙げたらせっかくのチャンスが逃げてしまいます。」と書かれています。
 「才能がないのに」というところが大事で、この節の内容(この本全体がそうですが)はいわゆる凡人に向けて書かれていることが分かります。
 失礼ながら里崎さんご自身のプロ野球での公式記録はこれといって凄いところは見当たりません。でも、正捕手として、日本シリーズで優勝しているし、WBCで優勝していてベストナインにも選ばれています。
 プロ野球選手になるくらいですから、里崎さんには優れた才能があったのだと思いますが、他のプロ野球選手と比較すると能力的には凡庸だったのでしょう。
 でも、知性と理論構築の才能に裏付けられた振る舞いで多くのビジネスマンから支持されるようになられたのだと思います。
 プロ野球を引退してからも年収1億円の収入を得て、選手年俸と同額の収入を得るというご自身の市場価値は、「みんな受け身のチャンス待ちですが、僕は攻めてのチャンス待ち。黙って待っていたら、巡ってくるチャンスは圧倒的に少なくなります。」(同書170ページ)という考え方から形成されたのだろうと思います。

#創作大賞2024 #エッセイ部門 #里崎智也 #エリートの倒し方 #チャレンジ

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