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オキナワは生きている

沖縄へ

去年の秋に修学旅行で行った沖縄について書きたいと思う。私自身、中学の時はコロナ禍真っ只中で修学旅行がなくなってしまったので、この修学旅行は大きな思い出となったのと同時に、これからの自分の人生における確かな財産となった。

ガマに残る残響

4泊5日で行われた修学旅行では、平和祈念公園へ行ったり、石垣島の海で泳いだり、西表島のジャングルの中でカヌーをしたりと色々なことをしたが、中でも特に印象に残っているのはガマでの体験だ。ガマの入り口は市街地からそれなりに離れたところにあった。かなり急な階段を下っていき、肌に感じる温度がどんどんと冷たくなっていくのがはっきりと分かった。階段を下り終えるとそこには一切の光もなく、懐中電灯だけが頼りだった。その空間には私を含めたクラスの生徒と先生とガイドさんだけが存在していて、確かにその瞬間において私たちは現実世界とは別の空間にいた。ガマの世界に飲み込まれないように、ただひたすらに私は懐中電灯だけを握り続けた。ガマの内部はもちろん自然の岩石でできているためただでさえ足元がおぼつかないうえに、湿っているためかなり滑りやすかった。上から滴り落ちてきた水がヘルメットに当たって、静かに響いた。しばらく行くとガイドさんが話し始める。戦争当時のガマの使われ方や、それぞれのスペースの利用され方などが説明された。「ここにはトイレがあって、女性たちがかごに入った汚物を上まで運んでいました。ここには医務室があって、その近くには死体が並べられていました。」もちろんはっきりと覚えているわけではないが、その話を聞いて最初に思い浮かんだ感想が「恐い」だったことは確かである。なぜならその話はあまりにリアリティがありすぎていたからだ。まるでそこに本当に死体が置かれているかのように、、、。かごに入れられた汚物の匂い、致命傷を負った瀕死の兵士の呻き声、私の五感はあるはずのないものを知覚していまっていた。たぶんその理由はあのガマに入ったときから私たちは戦争当時にタイムスリップしていたからであろう。そのとき僕は修学旅行というものが何のためにあるのかが少しだけ分かった気がした。歴史の教科書はものごとを過去のことにする。既に終わったこととして蓋をて、目を背ける。私のずっとそのように思ってきた。しかし、実際には戦争は終わっていなかった。私たちは確かにその瞬間、1945年当時のガマの空気を体で感じていた。まるで私たちだけ別世界にいるかのような感覚で、ただただ恐ろしさに耐えていた。「究極の体験」とは本来このようなものなのかもしれない。自分の意思で世界に入り込むのではなく、自分の方が世界に呑み込まれるかのような体験をしたときに、人間の価値観や考え方は大きく変化するものなのだとわかった。修学旅行とはこの「究極の体験」のためにあるのかもしれない。学校の授業で聞いた、嘘かホントかも確証が持てない情報だけを聞いた理解した気になるのではなく、実際に自分で足を運んで、世界に呑み込まれて初めて本当の「理解」なのではなかろうか、なども考えたりした。

彼の目は私たちを見ていた

もう一つ強く印象に残った体験は、ある美術館に行ったことだ。その美術館には沖縄戦に関する作品がたくさん展示されていて、どれも強く心に残った。だが私がもっとも記憶に残っているのはその美術館の屋上で聞いた美術館の職員の男性の話だ。屋上から見える景色は広大に広がる米軍基地とその隙間に敷き詰められたかのような住宅街だった。話を聞いてるときもオスプレイの音が鳴り響き、県民はいつもこの音に悩まされている、という話を聞いた。その男性の目の力は鋭く、何かに対して訴えかけているようだった。初めは米軍や日本政府に対してなのだろうと思っていたが、話を聞いていくうちに、どうやら違うらしく思えてきた。彼の目は私たち生徒一人一人の目ををはっきりと見つめていた。まるで沖縄の問題が解決しないのは君たちの所為だ言っているかのように、、、。沖縄は日本の県なのだから、言うまでもなく全国民ひとりひとりの問題である。なのに私はこれまで沖縄から何回も目を背けてきた。沖縄の小学校にヘリが落ちてもあまり何とも思わず、沖縄の方へミサイルが飛んできても私の住んでるところからは離れてるから心配いらないなどという、あまりに自己中心的な考えを持っていた。そんな私に対して訴えかけるために、彼は私のことを見つめていたのかもしれない。実際、沖縄の問題が解決に進みにくいのは多くの国民のの意識の問題であると思う。「自分たちには関係ないからいいや」という気持ちが、諸悪の根源なのだと思う。私にももちろんこの気持ちはあるけど、これを少しずつ変えていくことが解決へつながる道だと思う。政治についてはよく分からないけど、やっぱり基地問題もこの気持ちが大きく作用していると思う。彼が実際は何を思って私たちに語りかけていたかは分からないけど、私はあの日を機に自分の意識を変えていこうと思った。

オキナワは生きている

以上が私が修学旅行で経験した心に残っている2つのことだった。そこで分かったことは、沖縄戦の残響は今でも残っていて、それをどう受け取りどう未来に繋げるかは私たちにかかっているということだ。私もその一人として微力ながらも自分にできることをやっていきたいと思う。こんな拙い文章を最後までお読みいただきありがとうございました。

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