「まっ、いっか」の先に待つのは ・・・ (1)
アームが動く電気スタンドを分解した。30年ほど前、子供の勉強机に取り付けるために買ったが、使わなくなり、不燃ゴミ袋に収めるための作業だ。
その造り込みの良さに驚いた。銅製ネジが25本、長さを長・中・短で使い分け、要所要所に薄い鉄板を挟んで締め付ける。部品と部品は隙間なくしっかり嵌る。電源コードは滑らかな塗装の鉄製円筒パイプの中に隠すように収納するが、太くて丈夫なものを使い、両端には蛇腹式のゴム製ストッパーがついていて、構造材にガタつきや抜けや緩みが出ないようになっている。パイプの連結部には、ゴムパッキンが付いているが、30年経った今も劣化していない。
分解作業に30分以上かかったが、工夫に満ちた構造と組み立て精度に、つくづく感心した。「National」・「松下電工」とメーカー名のシールはあったが、製造国表示は無い。販売価格から見て、多分日本製だろう。海外生産開始は早いメーカーだが、生産国をあえて名乗る必要はなかったのかもしれない。
「お客さま大事」は遠い昔の話?
松下電器(電工)と言えば、「お客さま大事」の経営哲学を貫いた創業者・松下幸之助(1894~1989)が思い起こされる。高い製造品質は、その経営哲学の証明でもある。
今はどうだろう?松下に限らず、「日本製品」の品質への信頼度は、ここ数十年で明らかに低下した。検査データの偽装や改竄など不正が相次いで発覚したこと、ほとんどが中国製にシフトしたことは、不信に拍車をかけた。
この夏、7年使った洗濯機が故障し、購入先の販売店に行くと、「よく持った方です」と言われた。昔は10年保証が当たり前だった電化製品は、最近は7年に縮まり、5万円以下の製品は5年になっていると言う。耐久性も落ちている。
「古い」製品を修理しようとすると、本体価格から見て大変割高な補修部品代に加え、技術料・出張料など人件費が加算され、「修理は高いので、新しいのに買い替えた方がお得」と言うことになる。
モノが故障すると、説明書に書いてあるメーカーのコールセンターに電話する。「ただいま電話が大変混み合っています。後ほど改めてお掛け直し下さい」と言うのが相場で、まず繋がらない。何度も掛け直してやっと繋がったかと思うと、「この通話は〇〇秒毎に〇〇円かかります」と機先を制せられる。道のりは長い。
次に、自動応答で問題の種類を問われ、番号を選択して押さないと次に進めない。質問の内容は、まるで、メーカーが「聞いて欲しいこと」を長々と並べたようで、当てはまるものが無く、ひどい時には質問が7層に及んだ。最後に「その他」や「オペレーターに繋ぐ」に辿り着ければ御の字だ。繋がった相手(オペレーター)が、妙なアクセントの日本語を話すケースが多い。多くのコールセンターは海外にある。話が通じているのか不安になることもある。ゴールかと思うと、「修理については、購入販売店に相談し直してください」と振り出しに戻されることもある。故障相談だけで半日仕事になってしまう。
製品からサービスへ広がる品質劣化
信頼度が低くなったのは、製造品質だけではない。サービス品質も確実に劣化しているのだ。
サービスの品質劣化は、民間企業に限ったことではない。今でこそ役所の業務を「公的サービス」と言い換えるのが流行っているが、ちょっと昔までは、「お役所仕事」と言ったり、「たらい回し」というのが話題になった。わかりにくく煩雑な手続きと必要書類の準備・提出で、複数の窓口をいくつ回らされた経験のある人も多いだろう。ひと頃より話題に登ることも減ったが、社会的弱者が関わる手続きでは、(政治家にはへり下るが)弱者に強く出る、役所の体質と役人根性は根強く残っている。
職員から聞いた話だが、税務署では納税者を「お客さま」と呼ぶ教育をしているそうで、特に長期滞納者から徴税できた時には褒められると聞いた。
最近、製品だけでなく、サービスの品質低下を痛感する経験が増えてきたのは、情けない話だ。
優秀だが高価な日本製品を買えるのは外国人旅行者だけ?
今でも「日本製の製品は品質が良い」と言われることがある。しかし、多くの日本人は、中国をはじめとする海外生産製を買う。似たような製品でも手の込んだ「日本製」は、手が出ないほど高い。円安と購買力の差で、日本製を買えるのは、外国人旅行客だけなんて、皮肉と言うか、笑えない。
最近、さまざまの場面で、悲しい現実を、「まっ、いっか」とやり過ごしてしまうことが多くなった。年齢のせいか、言ってもしょうがないという諦めの境地か、おかしいなとは思いながら、やり過ごしてしまう。一方で、「まっ、いっか」でやり過ごす先に待っている世界が、恐ろしく見えてくることもある。
(2へ続く)