「まずい」の基準
グルメ番組が相変わらず多い。安上がりで作れるからだろう。人が美味しそうなものを食べているのを見ても、美味しくない。そして、多くが高い。安いのは、たいてい量で勝負という感じだ。
私はグルメではないが、「不味いもの」の基準がある。大塚のボンカレーと日清のカップヌードルだ。但し、カップヌードルは時々、無性に食べたくなるし、ギリギリ美味しいの部類に入るかも知れない。大塚のボンカレーは安いから、それぞれ取り柄もある。
ある日同僚と食堂に行って、あまりの不味さに、「どうしたらこんなに不味いものを作れるのかな〜、相当の技術が要るね」と、店主に聞こえそうな声で言うと、皆が青ざめた。
不味い料理にも、相応の「技術」が要る
お金をもらって、ボンカレーやカップヌードルより不味いものを作るのには、相応の「技術」が要ると、私は思っている。
調理が下手というのは根本的問題だ。自分が作ったものを自分で食べたことがない、あるいは(手本になるような)美味しいものを食べたことがないという寂しい経験もあるだろう。
手抜き? それも技術の一種だし、主婦の手抜き料理は、時間と予算の制約への果敢な挑戦だ。
根本的には、美味しいものを作ろうという意欲の欠如〜人間的要素が関与していることが多いと思う。
お湯たっぷり蕎麦
蕎麦屋でたぬき蕎麦を頼んだ。丼の縁から溢れそうなくらい、つゆが並々と入っているし、熱湯のように熱い。食べられるものなら食べてみろと言っているようだ。少し冷めるのを待ってから、溢れないようにつゆを啜ると、味がしない!関西風薄味の出汁が好きな私にとっても、まるでお湯だ。出汁を取ったのか聞きたくなった。妻がいたので黙って麺に取り掛かると、ふやけ始めている。これは一体、宇宙食?
「私のかしわ南蛮そば」に起きたこと
別の蕎麦屋でかしわ南蛮そばを頼んだ。夫婦で営む蕎麦屋の客は、私以外に一人だったが、近所の知り合いらしく、カウンター越しに盛んに世間話をしている。やがて、カウンターに「私のかしわ南蛮そば」が載った。でも、運ばれて来ない。よく見ると、蕎麦の上に何も載っていない。現状、かけ蕎麦だ。
冷めてしまうか心配で声をかけると、しばらくたって、店主が真っ白い鶏肉様のものを数枚載せた。「やがて」と「しばらくたって」を合わせると、待つ身には結構長い時間に思われる。さて、味は?出汁を入れ忘れたのか?薄味は好きだが、お湯に少々の塩を入れただけ? 鶏肉は漂白したよう白く、不気味だ。二度と行くものかと思っていたら、廃業した。
海鮮五目貼り付け焼きそば
時々行く中華料理屋で、海鮮五目焼きそばを頼んだ。テレビを見ていた主人は厨房に向かい、帰って私の前に置いた焼きそばには、エビやイカなど海鮮五目が一つも見つからない。店主に言うと、厨房に戻り、小皿に盛った「五目」を、焼きそばの上に、貼り付けていった。これでは、「海鮮五目貼り付け焼きそば」ではないか!? 店主に文句を言うと、ただの焼きそばの料金に負けてくれた。焼きそばは美味かった。
カレー? インドの?
メニューをしっかり読み込んでいなかった私にも多少の不備はあった。カレーの専門店で「ビーフカレー」を注文した。ただ「カレー」と書いてあるだけのカレー以外は、いろいろなトッピングを載せた「〇〇カレー」だった。出てきたビーフカレーは黄色っぽく、小麦粉で延ばしたカレーだったが、ビーフに混じってポークと玉ねぎが少々入っていた。「ビーフカレーを頼んだのに」と文句を言うと、「うちはポークカレーが基本なので、ポークは入ります」おいおい、「これインド・カレー?」と聞くと、答えは「欧風カレー」思わず「大塚のボンカレーの方がまだ美味しいな」と言い残した。そのチェーン店には、二度と行っていない。
どこへ行ってもカツ丼
アルバイトでトラック運転手をしていた頃、やたら先輩風を吹かす助手が、どこへ行っても「カツ丼」を注文するので聞くと、「カツ丼は当たり外れがない」と答えた。これには感心した。うまい不味いは基準の一つに過ぎず、「当たり外れがない」と言う選択肢もあったのだ。私もカツ丼派になった。
この会社は社長が沖縄人で、沖縄の人が多かった。早上がりすると、会社で昼食を食べられた。結構高齢だが、200キロ近い金庫を移動できる古参の人は、夏になると、ご飯の上に梅干しを載せ、氷をかけて食べていた。「美味しいよ」と誘ってくれるので、一度挑戦すると、確かに、力強い味だった。
安い材料でも、手早く、心を込めて作れば、美味しくなる。シンプルな食べ物でも、時と場所によって、美味しくもなる。
(了)
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