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旅するアヒルが出会ったのは?

 黄色いゴムで出来たアヒルは、人気のお風呂用玩具で、子供の頃に遊んだ経験のある人も結構多いだろう。我が家にも数羽残っていて、時々孫が遊んでいた。

事件から物語へ

 1992年1月10日、アリューシャン列島の南方を香港から米国シアトルに向かっていたコンテナ船が、悪天候に遭遇そうぐうして積荷を海に崩落ほうらくさせてしまう。そのコンテナから7,200組、28,800個の幼児用玩具が流出した。ビーバー、カメ、カエルと黄色いアヒルがそれぞれ7,200個いた。

 このニュースは、アメリカやカナダの新聞記事になった。流出したアヒルであったかは不明だが、アラスカやはるか北米の東海岸でも、漂着したアヒルのおもちゃが発見されたからだ。

 米国の絵本作家エリック・カール(1929~2021)は、「はらぺこあおむし」がベストセラーで、多くの子どもや親にとって、最も印象に残る絵本の一冊のようだ。漂着アヒルの記事を読んだカール氏は「10このちいさなおもちゃのアヒル」(日本では2005年偕成社刊)を描いた。読んでいないので孫引きの要約だが、

”・・・「赤い」煉瓦建の玩具工場で、「ピンク色」の肌に「赤レンガ色」の服を着た「白」人と、「空色の」シャツを着た人種不明の「浅黒い」男が並ぶ工場で作られたアヒルが、輸送の途中の船からこぼれ落ち、漂流の旅に出る。漂流するアヒルは、イルカ、アシカ、ホッキョクグマ、フラミンゴ、ペリカン、海亀、蛸、鴎、鯨など海の生き物と「出会い」、最後に本物のアヒルの家族と出会う。・・・”

出典:後述「モービーダック」から抜粋編集。(色のカギ括弧は筆者)

 「  」内で示した如く、色彩感豊かな絵本のようだ。事件はメルヘンに変身した。

教職を投げ打って書き上げた海洋冒険小説

 カール氏以外にも、記事に惹かれた少年がいた。作文の宿題で、「自分から『おとっつあん(Big Poppa)』という渾名あだなを名乗っていた少年は、幸運を招き寄せるためにポケットに忍ばせて持ち歩いているゴム製のアヒル」* について書いた。(*注:後述「モービーダック」から短縮して抜粋。)

 当時国語教師だった米国のドノヴァン・ホーン氏(Donovan Hohn)は、教え子の作文の採点作業で事件を詳しく調べたくなる。そして、探究の果てに職を投げ打ち、このアヒルたちを追跡する「航海」へ出発する。

 北太平洋、アラスカからカナダ極北地域へ、更に「アヒル工場」のある中国沿岸まで網羅する探究の旅の記録を元に、「モービーダック」("Moby-Duck"、2011)を書き上げた。「海洋冒険小説」に分類されているようだが、北太平洋を漂流するプラスチックの謎と海洋科学を織り混ぜ、一読の価値がある本だ。

 2019年に日本語訳が刊行(こぶし書房)されている。漂流するアヒルが洋上で見たであろうもの、漂着先の海岸で出会ったであろう人々を、航海する著者が想像たくましく追っていく物語は、読者を飽きさせることがない。

 秋の夜長の読書にお薦めだが、600ページに及ぶ大作なので、紹介が難しい。二点だけご紹介する。

出典:Amazonから日本語版表紙
出典:著者ウェブサイト(www.donovanhohn.com)から原書表紙

世界に広がるビーチコーマーズの協力

 海岸に打ち寄せられた漂着物を拾い集めて遊んだり、コレクションを作ったり、研究対象にする人々が世界中にいる。「ビーチコーマーズ(Beachcombers、海洋漂着物収集家)」と呼ぶそうだ。ホーン氏は、こうした人々に助けられる。年一回アラスカのシトカという街で開かれる「ビーチコーマー共進会」に足を運ぶ。参加者との出会いやそこで得た発見が次の航海につながって行く語りが面白い。世界には、時に安定した生活を捨て、色々のことに打ち込んでいる人が多い。

 以前テレビのニュースで、北朝鮮から韓国の海岸に漂着するペットボトルや即席麺のラベルなど様々な生活の痕跡から、北朝鮮の庶民の生活状態を推測する研究者が紹介されたが、彼もビーチコーマーズの、やや物騒ぶっそうな一人かも知れない。海岸にはいろいろなものが落ちているようだ。

「太平洋の墓場」を通過

 5度目の航海では、ついに、釜山からシアトルに向かう韓進はんじん海運のコンテナ船「ハンジン・オタワ5号」に乗りこむ。アヒルが海に投げ出された航路を進む船だ。

 アジアから米国に向かうコンテナ船は、アリューシャン列島に向かって弧を描く「大圏たいけんコース」と呼ばれる航路を進む。その途中に、「太平洋の墓場」はある。国際的には「北太平洋巨大ゴミベルト(Great North Pasific Gavage Patch = GPGP)と呼ぶようだ。津軽海峡を抜け、広い北太平洋に出て、国際日付変更線を西方に見る辺りだが、「どんな地図にも載っていない」場所があり、ハンジン・オタワ5号はその端をかすめるように通り過ぎた。

 船尾に立って海を見つめていたホーン氏は、乗船時にポケットに忍ばせていたアヒルの一つを海に放り投げようとして思いとどまる。なぜ投げ入れようとしたのか?なぜ思いとどまったのか?は、読んでのお楽しみに残しておこう。

160万平方キロ、日本の5倍の面積に広がる「墓場」

  さて、北太平洋に広がる漂流ゴミのベルトは、面積160万平方キロで日本の4倍の広さに及ぶとされる。オランダのNPO「The Ocean Cleanup」は2015年の調査報告(The Ocean Cleanup のHPから”The Great Pacific Garbage Patch”を検索すると基本的調査報告が出てくる)で、1,136,145個、668kgのゴミを回収したが、その99.9%がプラスチックであったとしている。そして洋上には1兆8,000個、79,000トンのプラスチックゴミが漂流していると推計し、内1兆7,000億個が直径0.05~0.5cmのマイクロプラスチックであるという。

   世界の大洋にはゴミが漂流する集積地帯がいくつかあるが、北太平洋の集積度が最も高い。ゴミには漁網が多く、日本発の漂流物も多いというのは、考えさせられる。

出典:The Osean Cleanup 2015年次報告書から


出典:The Ocean Cleanupの2015年調査から

 

 このゴミベルトに、手が届くほどに近づいた人はもっといるだろう。航路上の問題から通らなかったかも知れないが、太平洋をヨットで横断する冒険者には見た人がいるかも知れない。私の世代だと堀江謙一氏だろう。ただ、1962年に太平洋単独無寄港横断に成功しているが、海が荒れる海域でもあり、それどころではなかったかも知れないし、当時は廃プラスチックは大量に投棄・漂流していなかったかも知れない。

 海洋環境調査研究者のチャールズ・モア氏は、このベルトが目的地だった。太平洋をヨットで横断し、北太平洋高気圧帯に広がる「太平洋ゴミベルト」の調査報告を「プラスチック・スープの海」(2012、NHK)という報告書にまとめた。

海岸に打ち寄せるゴミ、洋上を漂うゴミ

 「モービーダック」の日本語訳者は村上光彦氏(1929~2014)と横濱一樹氏の二人だ。村上氏は、翻訳の途上で亡くなられ、横濱氏が引き継いだ。村上氏は、「『モービーダック』を読んでいただきたいわけ」と題する紹介文を残し、「(本書に注目した)第一の要素として、(英語の原文)刊行後の2011年に発生した東日本大震災、それに続く福島の原発事故と図らずも相応じる、海洋汚染という題材の今日性、重要性」を挙げている。

 実は、私は3年前、日本語訳で本書を知ったのだが、2011年東日本大震災で海に流された様々な「もの」が、どのように海を漂流するのか、気がかりだった。その後、アメリカ西海岸に漂着したある「もの」に残された情報から、持ち主の元へ送り届けられたというニュースもあった。生活の証を残す物や、思い出の詰まった物は、深い海の底に沈んだのか、あるいは洋上に浮かんで漂流し、見知らぬ海岸に漂着したのだろうか?悲しくやるせない話でもある。

 私は、海が近いところに住んでいる。特に子供や孫を連れて海に行くた度にやるせなくなるのが、大量のゴミだ。あと10年、20年経ったら、ゴミをかき分けないと海辺に辿り着かなくなるのではないか?海洋汚染とプライチックの問題は、自然と真剣に考えざるを得ない。それにしても、何でこんな物が?と思うゴミが多くなってきたように思う。

(了)

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