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【高校生の哲学】君のためって何?【月の書斎】


はじめに

どうも月と夢です。前回はまるでライフハックを紹介するような雰囲気で記事を書いたんですけど、よくよく考えると俺は専門知識を持ってるわけでもないのに教えるようなことをしてもしょうがないなと。まだ、高校生のガキですしね。
ということで今回からはより体験記に近い感じにしたいなって思います。後、タイトル、どういうのが良いか模索中なのでアドバイス頂けると嬉しいです。さて、ということで本題に入りましょう。

君のためっていう責任逃れ

約3600万年前のことです。ある人は言いました。
『君のためならなんだってするよ』
と、そんな忠誠のような重い愛のような言葉を。

 今や黒歴史ですね。いや、僕が言ったって言ってるわけではないんですけどね?あくまで3600万年前のことなので、そこんとこお願いします。
さて、一見すると凄い良いなと思うかもしれないこの言葉。
でも、少し違和感を覚えるような気がします。
この言葉自体が間違っている、というわけではないんですが、本当に相手のことを思って言えているのでしょうか。
 相手のために何かすることが良いことだと深く考えることもせず言っているのではないか、そう疑ってしまいます。
例えば、さっきの言葉で言う『君』を傷つける人に極端な話暴力を振るったとしてそれも、『君のため』にしてしまって良いのか。それは、責任を擦りつけることになってしまわないか。周囲からの責任を押し付けることにはならなくても、『君』からすると多少なり責任感は生まれると思います。
君のためって、なんだか、色んな場面で使う『君が好きなので良いよ』に似ている気がします。

君のためって何?

そしてこの問いに至るわけです。これは僕が割と長い間考えていることです。君のためって、なんだか偽善くさい感じがしてしまうんですよね。
じゃあ、全部を全部自分のためとしてしまえば良いのか、『俺が気になっただけ』とか『俺がイラついただけ』なんていう風に。
それはかっこいいですけど、結果的に変わっているんでしょうか。そんな無理矢理な理論を信じて貰えるでしょうか。相手は責任を感じずにいられるでしょうか。何より自分が自分を犠牲にして君に尽くしているという気持ちを持たずにいられるでしょうか。それなりの効果はあると思うんですけど、心から『俺が〇〇だっただけ』と言えないとなかなかそれで乗り切るのは難しそうですよね。

 あれ、でも光が見えてきましたね。逆に心から思たら案外いけるのかも?
 相手に責任感を与えない、結果的面で考えるとこれを僕は大事にしたいです。でも結果よりも自分自身の内面で起こる変化、いわば過程的な面に目を向けるのなら僕は自己犠牲の感覚を持たないことが大事だと思います。
責任を感じさせないというのは、知らせないとか、言い方の工夫で少しは良くなると思います。そして、それをするために自己犠牲の感覚を持たない。
そんなのが大事なのかなと、思いますね。

最後に

正直結論らしい結論を出せる気がしないというか。”正しいことはこれだ!“とは言えません。でも、少し言葉を変えるだけですが、「君のため」を思うんじゃなくて「君」を想って生きたいですよね。
結局、相手を大切に想う気持ちがあれば、案外傷つけあっても乗り越えられるのかもしれません。
 夏の熱さのようにアツアツのカップルが少しでも多く幸せでいれることを願って。
リア充爆発しろー!!

それでは、また明日お会いしましょう。
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