疑問には回答が用意されるべきである【月の書斎】



はじめに

どうも月と夢です。忙しくないはずの日々がこんなに忙しいのはきっと時間の使い方が下手くそなんでしょうね。12時までにこれを書ききって投稿しないと僕の連続投稿記録が途切れてしまいます。今まで他の色んなことに優先して続けてきた(まだ10日ぐらいしか経ってない)noteここでやめるわけにはいきません。
夏休みに期待したところでダラダラしてしまうのなら意味がありません。この悪い流れは断ち切らなくては。ということで明日は早く寝て明後日早く起きそこから始めることにします。僕の新しい日々を。さて、それは置いといて本題へいきましょうか。

疑問を持つべきか

 疑問。それは、不明部分です。分からないこと、それが気になるから生じる。
多分、そんな感じでしょう。厳密に言えば少し違うのかも知れませんが、今そこに関して話すつもりはないので何となくそんな感じで置いておきましょう。
 さて、学校やテレビなんかでは良く聞きますよね。好奇心を持って何にでも疑問を持とうって。これ、何気にすごく難しいですよね。
 少なくとも僕は難しいと感じています。僕は、そこにあるものを、そこにあるものとしてそのまま受け入れがちなんです。当たり前って思ったり、偶々だって気にも留めなかったり。そうやって、「疑問」をスルーしてしまいます。
「当たり前」や「たまたま」というのは好奇心の敵とも言えるかも知れないですね。出来れば、そういう思い込みから解放されて疑問を持ちたいなって思っちゃいます。
とはいえですよ。
「疑問を持つこと、それは何か新しい発見や、発明をするのに役立つ! だから、みんな疑問を持つべきだ」と言いたいわけではないんです。
何も、人生の意味は偉大な発見や発明をして人類に貢献することなどではないと思っていますから。
 ただ、日頃からの疑問を持たない習慣が大切な人の思いに気付けないなんて事態に発展したら嫌だなと思います。
 すれ違いや、痛みに気付いてあげれなかったとしたら僕は自分を責めることになるでしょうから。人間関係を避けないために僕は弱い自分を克服しなくてはならない、それが最近の僕の課題です。
話がそれましたが、疑問を持つべきか。皆さんはどう思いますか?

回答を用意するべきだ

疑問に対して、解答が手に入ること。それは実はあまり多くないと思います。あるのは、クイズや勉強のテストとかそんなもんでしょう。
 解答が存在しないことも多いですが、解答があってもそれが自分には分からないことが多々あるでしょう。
 ですが、回答を持つことをやめるのは少し違うと思います。大事なのは考えることと答えを出すこと。そして、納得することです。
 解答がない場合、重要なのは納得だと思います。
一度答えが気になってしまえば、「正しいこと」、正確には正しいと思えることが分からないとモヤモヤしますもんね。
なので回答を出すことは、少し癖づけといた方が良いかもしれません。
とは言っても、決めつけは良くないですし、全てに回答をつけるほどの労力は払いたくないということもあるのでまぁ、時々気が向いたらで良いと思います。

最後に

名探偵のように颯爽と事件を解決する鋭い洞察力とひらめきが欲しい人生でした。とはいえ、無いものを願ってもしょうがないのでそれに少し近づけるよう練習はしてみたいですね。二流でも出来ることがあるのは良いことな気がします。
疑問を持ってその回答を考えること。非常に難しいですね。ふと、した時に考えてみる癖をつけれたら良いかもですね。
 例えば、何で今日こんなに寝るのが遅くなってしまったのか。とかね。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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