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飛騨高山の秋葉様

 飛騨高山と言えば赤い中橋、古い町並、高山祭、飛騨牛、高山ラーメン、朴葉味噌、みだらし団子など色々とあります。そんな飛騨高山には多くの方の視界に入っているのに認識されていない、他の地域でほとんど見られなくなったものがあります。それは小屋根の上や大きな石の上に鎮座している、市民が親しみを込めて「秋葉様」と呼んでいる小さな祠です。高山市内には秋葉信仰の小さな祠が60ヶ所以上あります。ただ祠があるだけでなく21世紀になった今でも町内会や祭りの屋台組(祭屋台の維持運営のためのグループ)によって秋葉様ごとに多いところでは年3回程の神事を執り行っています。火の神や秋葉信仰については諸説あるようですが、高山で秋葉信仰が盛んになったのは18世紀前半の享保年間の頃だと言われています。この頃高山では町(現在の古い町並がある伝統的建造物群保存地区周辺)に多くの人々が密集して住むようになり、火の不始末から大火が頻発したようです。当時の消火活動と言えば時代劇などでもおなじみの町火消による延焼を防ぐための破壊消防が主でした。いったん火の手が上がると人力では抑えることができずに神頼みとなったようです。当時、高山からも火伏の神として信仰されていた秋葉神社へ町の代表などが出かけていきました。本宮で頂いたお札を持ち帰り、納めるために作られたのが小さな祠の「秋葉様」です。

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上三之町にある秋葉様の正月飾り 2022年1月5日撮影

 2014年に地元情報誌「月刊さるぼぼ」にて「わが町の秋葉様」と題し巻頭特集が組まれました。この特集は高山市職員の牛丸岳彦氏が執筆した「飛騨高山の秋葉様とその信仰」という研究事業報告(’06年)を基に氏へのインタビューなども加えた興味深いものでした。これを目にした多くの高山市民が自分の町にある秋葉様を再認識することになりました。その特集記事を読んだ私は牛丸氏から研究事業報告の写しや秋葉様の所在地が記された地図などを頂き「秋葉様が市内に60ヶ所以上もあるんかぁ。時間ができたら全部見に行きたいけど今は時間がないし無理やなぁ。」などと思っておりました。それから7年の歳月が過ぎ、2019年末から流行し始めた新型コロナウイルス感染拡大により家業の飲食店は商売にならず、半年さらに一年と過ぎていきました。昨年(2021年)の8月下旬から再び休業となり、その時目にしたのが高山市文化財課が作成した「文化財めぐりウォークラリー」8コースの案内でした。市内に点在する文化財への理解を深め、健康づくりを目的としたコースの半分以上が郊外を歩いて回るという内容でした。さっそく夫と里山歩きの準備と感染対策をして全てのコースを歩いてみました。結果、高山の歴史や文化についてもっと知りたいと思うようになりました。そしてようやくその時を迎えました。「秋葉様だ!」こうして7年越しで「秋葉様めぐり」を実行する時を得ました。

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「文化財めぐりウォークラリー」の地図とクイズ

 市内に点在して点在している秋葉様は古い町並から徒歩圏内にあり、古い町並を含む南北3キロに集中しているため容易にめぐることができました。一週間ほどですべての秋葉様をめぐり、外観等を写真に収めデータベースを作ろうとしました。しかし一つとして同じ外観の秋葉様は無く、また敷地内に置かれている灯籠や植物の種類なども変化に富んでおりました。データを入力していくうちに、古い町並を歩きながら秋葉様を探したり、高山の歴史や文化についても触れることのできる内容の謎解きゲームを作ることができないかと考えるようになりました。まずは高山市の歴史についての資料を集めてみました。岐阜県や高山市などが制作した郷土史本や地元の郷土史家のブログ、ウィキペディアも参考にしながら高山及び飛騨地方の歴史や文化を学び直してみました。戦国時代の終わりに高山の町の原型が作られ、江戸時代から明治、大正、昭和と時代が進んでも文化や風習の一部が現在まで受け継がれていることに改めて感動を覚えました。秋葉信仰の象徴として作られた秋葉様も長い時を経て、近年までのあった大火の歴史と教訓を「火の用心の心がけ」として今に伝えているとかんじました。そして多くの方のお知恵やご指導を頂き、高山の歴史についての謎を4問と計10ヶ所の秋葉様の特徴を答える形式で12ページの「飛騨高山謎解きゲーム古い町並編」が完成しました。さらに地元中学校の先生方や生徒さんからルビを振ることや説明文などを簡潔にするなどのアドバイスを頂き子供達により興味を持ってもらえる内容の「飛騨高山謎解きゲーム 秋葉様を探し出せ!」を作成しました。 謎解きゲームを高山市内で配布してみると多くの方が興味を持って参加して下さいました。

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「飛騨高山謎解きゲーム 秋葉様を探し出せ!」表紙

 本意ではないけれども、せっかくできた時間を無駄にせずに活用できたことは私の人生において大きなチャンスでした。この「note」の場をお借りして自作した謎解きゲームを発表していきたいと考えています。

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