許容とお金

お金をかければ変えられることに慣れすぎて、
不都合なことや理不尽なこと、社会に出て感じるどうしようもない仕方のないことを受け止める許容がなくなってしまうのではないか、と思う。

まあそんな理不尽な事やどうしようもないことを、
人に感じさせる世の中を変えるとかの話は
結局この先遥か遠い遠い遠い未来も変わってなさそうだし変わる前に死にそう。


SNSを覗きに行くと、整形や詐欺メイクをよく目にする。
ここ数年は、整形や自分の容姿のアップデートのために海外旅行している人も普通に目にするようになった。

美の追求や自分のなりたいように、したいようにすることへの意思が強くなっているのはとても素敵だなと思う。

5年前ぐらいに、二重に整形する友人がちらほら出てきた。
その時は、学生にも手を出せる価格帯でコンプレックスが無くなるなら安いもんだよなあ、ぐらいの認識。
実際にその友人たちは、以前よりも毎日が楽しそうに見えた。

私は自分の容姿を他人にどうこう言われる事が居心地悪いと知っているので、
整形をした友人が自分から「見てみて〜」と言ってくるまではそれに触れなかったし、「可愛くなったね」と、以前を下げて、今と比較するようなことも言わなかった。

私なら以前のブスさを忘れたいし、ブスであった事実を他人が覚えていることを認識したくない。
(確実に他人は覚えているが改めて認識したくない)
これは本当にコンプレックスだった場合。

それに比べて、いまの自分に“やや満足”で、整形することにより“満足”になる人間は、「見てみて〜」と他人に褒めてもらうために軽く打ち明けられると思う。
そんな印象を持つ。
整形は自分を輝かせるための手段であるように思う。

ただ冒頭でも言ったように、
“お金をかければ変えられることに慣れすぎる”ことも少し怖いなと感じるようになった。

お金を払えば、なりたい顔ややりたい事も出来る。
行きたい場所や食べたいものにもありつける。

SNSが当たり前で、承認欲求が強く今なにをしているか何が流行っているかを常に他人と共有している人たちは特に、そうではないだろうか。


他人の発言や容姿を平気で叩き、自分の美学と反する人を小馬鹿にする。
「私なら整形する」「私なら外歩けない笑」
こんなことを平気で発言する人が世の中に溢れていると思うと、人の目を気にして怖くなる人も多いのではないかと思う。

お金で解決のできない事や、どうしようもなくてやるせないこと。
山ほどあってそれをどうにか咀嚼して大人になっていく。

偏った美学や他人と比較して気になり出すこと。
自分には甘いくせに、揚げ足をとって他人には厳しく強いること。

SNSで有名になれば、企業に勤めて働くよりもお金を稼ぐことができるようになった時代。

多くに見られる立場の人は、良くも悪くも発言や行動は一挙手一投足で世の中に影響を与えてしまう。
その影響を受けるのも自分で受けないのも自分。


お金をかけて変わることが容易になった今、
他人を見る目の厳しさ、仕方のないことへの我慢強さ、心の許容範囲を狭めてしまわないことを願うばかりだ。