「キリエのうた」を想う

「キリエのうた」見てきましたので、その感想です。
ほとんど備忘録のようなものです。もし映画を見た人がいれば、ちょっと覗いてもらえれば嬉しいです。








岩井監督の作品をいっぱい見てるわけではないですが、やはり監督らしさが強く印象に残る、いいフィルムだなとは思います。
ただ、すごく感動したとか心が揺さぶられた、というのに欠けてしまっている。でもこれは一個人の感じたところなので、たぶん、人によって心にぐさっと来ると思います。なんというか、若者向けではなかったということですね。
アニメもそうですが、作品の書き手、そしてそれを見る人、その年代によって出来上がる作品は大きく変わるでしょう。「君たちはどう生きるか」は最近のそういう典型です。そういう意味で「リップヴァンウィンクルの花嫁」より若さ、刹那というより人の積み重ねてきたものが染み出ていてで、もっと年をとってからの方がこの作品を楽しめただろうな、と思います。
本編のシナリオ、脚本は岩井監督の意のままという感じでした。フィルムとしての展開、描写、カメラワークそういったところのこだわりが詰まっていました。結婚詐欺とか、見るからに怪しいキャスト陣だとか、人殺しなのになぜかコミカルな場面にしちゃってるとか。それもこれも音楽映画としての力点を強調するためだと思いますし、3時間という作品の長さで描きたいことを描ききり、かつ見ている人に単調になりすぎず、飽きさせない、というところがすごすぎると思いました。

何より、前提知識0で観に行った自分としては先の見えないシナリオにドキドキしっぱなしでした。一方で突拍子もない展開はなくフィルムとしての決まりを守ってもいて安心して楽しめました。
シナリオとともに考えさせられたのがキリエの歌です。アイナ・ジ・エンドさんは本当にすごかったです。2時間ぐらい出てましたよね。私個人として、ああいう歌い方が好きかどうかと言われればあまり好きではないのですが、それは作品そのものとは関係ないことです。そういった歌の好みは関係なく、彼女の歌声に「歌の力」というものが感じられたという点ですごいのです。
でも、歌の力というのがこの作品のテーマなのかな、と思って観ていたのですが、結局のところ歌は災厄しか呼んでいないんですよね。この作品でるかが歌を歌うと、その後に悪いことが起こる。場面としての印象付けでそうなっているのかもしれないですし、むしろ根本は狙っているのかもしれない。
でも残念ながら歌がなければキリエは生きて来れなかったでしょう。歌によって人と人と繋がりが生まれ生きてきた。キリエにとって未来は存在しなくて、現在があるのみです。そこに歌があれば生きていける。
歌の代わりに体で表現されていたのがバレエです。キリエは声を出さなくとも自分の居場所がないことをバレエで表現します。ところどころ印象的に出てきますが、きっとそういうことなんじゃないか。
そう思うと最後にキリエとイッコが海岸に行くのは明らかに別れのシーンです。あのシーンの歌の歌詞とバレエは1人になることの暗示だと取れます。
キリエのキャラクターとして、かなり生きる力に長けているということが挙げられます。正直どのようにして津波から生き残ったのか、どうして姉(きりえの漢字を忘れてしまいました……)が死んでしまったのか、というブラックボックスがかなり気になります。こればっかりは残酷なことですし、それが具体的にどうであれ話には関係ないのですが。いずれにせよそんなキリエにとって、歌だけが重要なのだ、というふうには作品全体のテーマとしては取れないと思うのです。

じゃあ結局この作品のテーマってなんなのか。
この作品の中で何が始まり、何が終わったかというとキリエとイッコの関係であり、キリエとなっちゃんの関係の清算ですね。キリエはもとの路上シンガーソングライターのままだし、夏彦もキリエに会ったものの今は変わらない。だからこの作品で描かれていることのテーマはまとめて、友人愛(キリエとなっちゃんは家族ではないかと考えるところもありますが、帯広で別れた時にすでに家族ではなくなり、現在流転しているキリエにとっては友達の距離感の方が近いのではないかと感じます。)ではないのでしょうか。と言うとすごく浅はかに感じる。だって3時間もあるんですよ? そんなまとめ方でいいのか?
「リップヴァンウィンクルの花嫁」を観たときにも思いましたが、人を想うことに相対的な物差しは絶対にないんですよね。それがキリエのセリフからもポツリポツリと漏れている。人と人の繋がりを、こっちの方がお金になるから、こっちの方が道徳的に正しいから、こっちの方が法律的に正しいからと決めて行動することは、心の底で、つまらないことだと感じるはずなんですよね。少なくともこの3時間を見ればそう思うはずです。人と人との繋がりはその人自身だけが信じられるのです。そしてその1つの大きな形が愛と呼ばれるものなのではないでしょうか。そんなに深い愛を彼女たちは半年と半年ぐらいで作り上げてきたのです。それはフィクションだからこそ成立するのかもしれません。でもそんなことを信じさせられたのであれば作品としては大成功でしょう。

私たちが日頃の付き合いの中で本当の愛に出会えることは多くない。愛に出会えるだけでも幸せなのだ。そんな寂しさを感じながら、でもキリエの姿をみて生きていかないといけないのだと感じる、そんな作品なのでした。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?