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MX4Dに纏わる雑談

グリッドマン・ユニバースでMX4Dを初めて体験したのでその感想をまとめてみる。

映画館というコンテンツの付加価値

映画館って10年前はもっと簡素でどこにでもあるものだった。もちろん、今も小劇場は残っている。でも映画の素人には行きにくい。昔の映画館はもう少し汚い感じがあった(ポップコーンがいたるところにぽつぽつ落ちている感じ)。でもそれは悪さだけではなかったと思う。
今、映画館に求められていると、映画業界が考えていることは、「映画館はもっと価値のあるものである」という素人のブレインストーミングから出てくる物のような気がする。映画館は家で見るより画面が大きく、たくさんの人で見れる。だから応援上映だって出来るし、MX4Dだって出来る。
MX4Dの原型は遊園地、具体的にはディズニーランドだと思う。スペースマウンテンとかで遥か昔から実現されているものの要素が多いと、素人的には感じてしまう。各座席で匂いやらそういったものを映像に合わせて間違わず出力するのは大変な発明だとは思う。映画館で体験するのはディズニーランドに行くなんかより簡便で助かるが、それが映画の目的なのは少し疑問なのである。
映画館は1つの経由地点ではなくそれそのものが大きな目的であるべきだ、という概念の転換を試みていることに焦点を当てるべきだろうか。つまり、かつて家族や友人で遊ぶという1日の流れの中の1つのコンテンツだった映画館が、今ではまず映画館という目的を流れに組み込ませ、その前後に食事やショッピングを充ててもらう、というようなものな気がする。言ってしまえば遊園地と同格を目指しているみたいな感じである。映画館はあえて映画鑑賞料金を上げていてもおかしくない。なぜなら、映画館が目指しているのが休日の目的地の形なのだから、水族館などと同じぐらいの値段にしたいというようなものなのである。そういう視点で、コンテンツを拡張させ映画館の付加価値を高めることで、映画館の立ち位置を全体の中で高めていきたいということなのではなかろうか。

ヒットする映画だけが価値なのか?

こういう時代になったのは間違いなく映画離れ、サブスクの強盛がある。今のコンテンツ大量消費の時代に1本2時間、3時間の映画はタイムパフォーマンスが劣る。また、映画館に行かなくとも配信で後日(といっても数ヶ月後だが)みられる。テレビという映画とともにあったメディアの勢いが衰えるのと同時的なことでもある。
そして映画館は1つのヒットする映画をとにかく擦るようになった。配給側もそちらのほうが無難だからだろう。1つの映画をIMAXやMX4Dなど違ったように(映画館でしか味わえない!)出力し、ただ繰り返し見るだけではないようにしている。アニメであれば週変わりの特典をつければかなりファンは来てくれる。昔の映画のヒット作というと10~20万人が1~2、3回みたというものな気がするが、今だと5万人に5回以上みてもらうのを狙う作品が多いはずだ。
結局、私が思っていることは、映画の価値というのがその程度のものになりつつあるということへの危惧である。もちろん、映画という媒体でなくとも、それこそ配信オリジナルの作品もあるだろうが、それでも何か自分の知らない作品・創作に出会う映画という媒体そのものの価値を、価値を伝導していくべき映画館が下げてしまっているように感じるのである。拡張コンテンツがなくとも、映画という創作そのものにエネルギーがあれば、もっと映画館は活力を持てるはずだろう。どぢらが先なのかはわからないが、その相互作用の形が崩れてしまっている気がした。
という、私が映画館の上映スケジュールを見て、もっと興味深そうな作品が色んな時間帯でやっていればなあという、願望をまどろっこしく書き連ねて見ました。
いやいや、世知辛いですね。旧文化に馴染んでいる私としては映画館にも深く同情します。

追伸

いや、MX4Dは楽しいんですよ。一度行ってみて欲しい。
あと、新条アカネ人気はすごい。


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