一時的存在について

ひとつ前の記事と併せてお読みください。
タイトルのつながりはほぼないですが、どこか節々で近いことが感じられるはずです。(まだ書き始めていないのでどうなるかわかりませんが)

皆さんはYoutuberやVtuberという存在をどう見ていますか。

私はほとんど見ないので、そういう人間がいろいろ語るのは本当に危ないことなので言及は控えたいのですが、
やはりこういうものには一過性のブームがあるのだと思います。

私が子供のころはニコニコ動画が非常に強力でした。
動画共有サイトはあれど、コメントが流れたり、そこで同じものを共有している人の存在を感じたり、同時性、同調性というものを強く感じられたのはあの時代はニコニコ動画に特有だったものです。
今のニコニコ動画が別にどう、ということではありません、1つの動画共有サイト並びに生放送システムなどニコニコ動画は今も協力なプラットフォームです。でも間違いないのはそういったシステムがニコニコ動画に固有であっても、それに類する(コメントが横に流れるとかそういうことではなく)システムが出現し、同質的になってしまうということです。私は詳しくありませんが、今や無数のSNSが存在します。それらの発信性はひとまず置いておいて、動画などに対するコメント、一時のそのものを共有するということに対するアプローチはあのニコニコ動画のエッセンスに似たものが存在していると抽象的に言えば考えられるように思います。

一過性のブーム

というのは、言い換えると、少し時間がたつと同質的なものが多数発生し、その境目が分かりにくくなり、ブームの火種が小さくなったように見える、ということなのだと思います。だから○○のブームは終わった、というような言説はそれなりの反感を買うものです。
とするとブームというのはあるように見えて、出現の一端を描写した言葉に過ぎないようにも思えます。

私が今日話したいのは、

それだけでない一過性のブームの話

です。
私たちは無意識に、今も上の話で全く触れてはいませんが、一過性のブームに心沸き立つものです。なぜ人々はいずれ終わりが来るであろうブームに乗るのか。なぜいずれは平坦になってしまうことを知っているのに熱中してしまうのか。簡単に言ってしまえば、いずれはなくなる可能性が高いコンテンツ(ここでははっきりとソーシャルゲームなどではなく、Youtuber、Vtuberという配信者などに話の方向を絞ります)にお金を投げてしまうのか。
ただ出現の一時を切り出しているだけではないように思われます。

一つその話を深く掘っていくために具体的なテーマを抽出します。
それは

YoutuberやVtuberがそれで一生働いていくのか

ということに対し懐疑的な念を持たざるをえないことです。
間違いないことですがYoutuberやVtuberの原型はテレビにいた芸人・アイドルです。それがYoutubeなり動画プラットフォーム・SNSに移ってきたわけです。そこをネイティブとして活動拠点にしているわけです。で、もともとのテレビで活動していた芸人やアイドルはそれで一生生きているのか、ということに対して私たち一般人は正解を持ちません。おそらく週刊誌の方などマスコミの方なら知っているでしょう。とりあえずわかることは、アイドルであれば同じ働き方はしない、ということです。例えば昔のアイドルがそのまま芸能人でいたとしても、年を取るにつれていつの間にか社会派になっていたり、官公庁とコラボしたり、ただ歌って踊って、ファンとのかかわりを続けるという形ではありません。そして多くの場合は引退して違う人生を歩んでいる(多少そういった社会・仕事業種に関わっているにしても)と思います。もちろん芸人さんで同じ働き方をしている人もいますが、どちらかといえば少数派なのではないでしょうか。
であればYoutuberなども同じです。Youtubeもかれこれ長い年月存在していますが、その媒体でずっと同じように活動を続けていくことはないのではないかと、自然とそう思うわけです。
で、そうだとしたときに彼らはどこに向かっていくのだろう、と思うわけです。まだ、Youtuberなどの活動者は活動サークルが大きくないと思います。彼らは全国的に(言ってしまえば世界的に)見ることができるわけでそういう意味では全国にファンがいても普通です。一方で営業として全国津々浦々を直接行脚して講演をしたり、というところで集客できるかというとまた別問題です。私自身、人によりけりですが、いずれはそういうことも一般的に出来るようになるかもしれないと思っていますし、そういう活動が広がっていくと面白いと思っていますが、それに前向きな人や団体はどのぐらいいるのでしょうか。
結局何が言いたいのかというと、Youtuberのお金の稼ぎ方というのが一時的なものであるように、少なくともこの2023年では思えてしまう。もちろん超のつくYoutuberもいますし、そういう方は本当に長い年月面白い動画を投稿し、いろいろなつながりも持っています。でもそういう方々であっても、同じように稼ぎ続けることは難しそうである、と思うのです。それはパイオニアだからこそ、何か新しい方策をみつけ、かつてのアイドルが社会派に転じられたように新しい生きていくやり方を考えだす必要がある。そんな使命感にも追われながら模索することはとても難儀なことだと思います。でもこれはどんな仕事でもそうでしょう。100年企業であっても、今の時代変わっていかなければつぶれていきます。別にYoutuberだけではありません。ただそういったそれなりの時間を経てきた企業というのは信頼関係があります。そしてその仕事というものを客観的に評価してもらえます。仕事の社会的貢献度、というようなものでしょうか。
迷惑系Youtuberというのもいます。誰しも悪事を働きたい、という下心はあるはずです。誰かがやっているとちょっとのぞきたくなってしまう、というのはわかるのではないでしょうか。でも、この仕事には社会的貢献度はあまりありません。多くの人の悪事を働きたい欲求を解放しているんだといったとて、その発言に説得力はどの程度あるのでしょうか。多くの人は道徳的・倫理的判断に基づき行動が出来るのではないでしょうか。
また脱線してしまいました。そういった企業もYoutuberも大変なところにはいるのですが、でもやはり決定的に違うのは時間が作り上げてきた人間関係です。社会的貢献度なども含めて信頼関係が広がっていくことで土台が固まっていく。先ほどもみたようにまだYoutuberのサークルは小さいように思えます。そこで働く1配信者というものはまだまだ小さく、この先安定した地位にたどり着くまではまだまだ遠そう、というように見えます。そこには配信者一人ひとりがかけられる時間よりももっと長い時間がかかりそう。だから、今の時代の配信者は大変な立場にいるのではないかと思うのです。

ということで、一時的なその活動に対し私は

なんとも言葉にしがたい感情が今日浮かんできた

のです。簡単に言えば「心配」。
別に人の心配をしている場合でもないのですが。
でも、言葉にしがたい感情というのはそんなに簡単なものではないです。
まず、どのように応援してあげられるのだろう、という悩みです。
スパチャだとか金銭的なものはもちろんありますが、ただそういうことだけでなく、感情的なものです。いや、仕事なんだからお金が手に入ればいいだろうって。でも、私たちも普段仕事をしていてお金だけもらうというのはなんとも味気ないものです。本当はだれしもその仕事をこなしながらやりがいを見つけたいと考えていますし、そうでなければ仕事を続けることは難しい。だからこういった配信者にも本来やりがいがあるべきです。趣味で配信をしている分には、正直好きなようにやればいい。でも仕事となれば、そこにはいろいろな人が関わり、そしていろいろな感情が交わってくるものだと思います。そしてそれらはすっきりしたものであってほしいのですが、なかなかそうもいかなそうに思える。だからきっといろんな面でお金を払う、そして言葉をかけてあげるということが、必要なのだろうなと思うのです。
次に、仮にそうだとして、自分はそれをするだけの価値がある人間なのか、ということです。それは、ファンとしての素直な何も考えずに行うふるまいではなく、このようなぬめぬめした考え方の上に立って行動することは不健全ではないか、ということです。あまり具体的になりませんが、それはプライベートな「私」が存在しているかどうかということにも同じでしょう。熱中する「私」が下心なくお金を払って行動することは良いと思える一方、遠くにいるその人を考えることに従ってお金を払うことは何かねじ曲がっていると感じるのです。そんなこと考えずにお金を払えばいいんだよ、とも思いますが。でも結局、相手側にとっては自分という一人は集団の中の一人にすぎませんから、自分の価値というのはエゴイストな考え方でしょう。
そして最後に、それでいて、配信者などが引退をするというときに悔やむ気持ちになるのはなぜだろう、ということです。人間、強い生き物です。生きなければと思えば、様々な方法を駆使して生きていきます。簡単に言えば、この社会に選ばなければ仕事はいくらでもあってお金を稼ぐことはできるのです。だから一時的な居所としてそうした配信をしていた、活動をしていた人がそれをやめることは何もおかしな話ではありません。でも、かなり遠くでそれを見ていた人間であっても、それを残念に思うのはなぜなのでしょう。

一つはそれが自分にできないことだから。
もう一つは、前に出てきたことと関連しますが、それを続けて新しい生き方を切り開いてほしかったから。

ここまで深く感情を抱いていたのだ、ということに、今、私は気づかされました。

なぜでしょう。
配信者と視聴者の関係というものはもともと赤の他人です。深い感情を築き上げるのは難しい関係です。そして、その関係は引退ということによってリセットされるのです。無に帰す。出会う前と同じ状態。そうなることはとてもたやすく、初めに想定されます。でもこちらが向けた気持ち、配信者側がその間努力したこと、そこで生まれた気持ち、これらも無に帰してしまうのでしょうか。
そんなことはないでしょう。
「推し事」という言葉が一時期流行りました(これは出現の端をとらえたブームですね)。今や推しということば普通に使われる言葉になりました。「推し事」はアイドルなど相手を応援することにまるで仕事のように取り組む姿を描写しています。でも、「推し事」は仕事ではない、という逆説的な表現です。つまり推しに対しては仕事ではない、プライベートな「私」が表面化している、ということを表現しようとしています。そんな「推し事」はだからこそ仕事では出てこない、新鮮な感情にぶつかれる。それだけで自然と「私」の中で感情が育まれている。そして金銭的なやりとりをすればするほどそこには拍車がかかるのです。「推し事」は「私」でぶつかるからこそ大きく感情を得られるそういう機会であって、振れば振るほど、自分自身に跳ね返ってくる。
でもきっとその「推し事」には終わりが来るとわかっているのです。「私」もその対象も。それは仕事が自分の人生とともにあることのまた逆説的な表現であると思えます。
だからこそ、その終わりの場面で「達成感」を得られるべく視聴者側は活動をしていくべきでしょう。きっとそれをしていればただ残念とは思わないはずです。自分がこうしていればよかったという後悔にはさいなまれず、迎えるべくしてやってきたこととしてその引退を見送れるでしょう。
そしてその過程、最後を迎えるまで続く一時的なその感情のぶつかり合いにおいてより大きなものが生まれ続ける。

なるほど、私たちは時間と感情を重ねられる存在でもあるのです。

それは、日ごろきっと無意識に感じているもので、そしてとても大切な記憶。大事に思えど、それはその記憶自体を大事に思っているのであって、この素晴らしい感情と時間の相乗効果を意識はしていない。
だからこそライブというものに熱中し、心のまま動くことができる。
たとえ未来、そのライブに似たようなものがあって、それを体験したとしても、昔の感情と今の感情が同じになることはないのです。
そして、面白いことに感情は積み重ねの上、また育まれていくのです。
つまり瞬間的に、t=0における感情というものが漸次的に、tの関数によるグラフのように変化していく。それはその場、経験する状況によって増幅される。そしてその積み重ね ∫dt によってグラフが影響される。人間の心というのは恐ろしいまでによくできているとつくづく思わされます。
ここまで出てきた何とも言えない感情というのは、このような関係において育まれてきた、瞬間瞬間の時間をかけて生まれてきた、大切な感情だったのです。

究極的に言ってしまえば、

Youtuberを見ている私たちも一時的な存在なのでしょう。

それは私たちの内面、いわば感情がそこに向き合っている間の形として存在し、そしてその場面において今求められている感情の働きをするという意味です。
見ているという一方的な形態であっても(コメントすることもありますが、仮にそれがなくとも)私たちと画面の向こうで、シンクロしているのかもしれません。そんな同時的に、一方で同調ではないだろうインタラクティブを遂げ、心を通わせた気になる。だから、私たちはそこに憧れや希望を見る。実際には通っていないから、一方的な感情に留まるのです。実際に双方向のやりとりが多大に存在してしまったら、それは仕事ととして形式的なものに矮小化されてしまうように主観されてしまうでしょう。
そしてその「終わり」を迎えたときに感情はどのような最後を迎えるのか、ということはそのときどきまでに行ってきた行為や考え方で変わってくるというのはここまでで考えてきたとおりです。私たちはYoutuberが「終わる」ときに一時的な「私」を失うと言ってもいいのかもしれません。間違いないのは失う瞬間まで作られてきた「私」は未来にも存在しない唯一無二であり、それをこころのどこかで欲してしまうからこそ、私たちは一過性のブームにのめりこむのです。

最初の話題からもわかる通り、対象が人だろうが、人でなかろうが同じことが言えそうです。ただ人のほうがやはり感情移入は強いでしょう。
そうした強い感情を、私たちは時間をかけることで、場合によってはお金をかけることによって得られる。それはやはり、面白い人生を過ごすためにはやる価値のあることのように思えます。
だからこそ、一過性のブームがあってしかるべきなのでしょう。

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