生きやす過ぎて、生きにくい。

松井です。

今日は、午前中が雨で、午後は強風でした。

野良仕事ってホントに天候に左右されるww

自然に沿った生きかたって、季節や天候に左右されるから、体調とかの変化も受け入れて生きていくってことなんだなあ、、

そんな当たり前な事を感じて、じわーんとしていました。

【脳の進化が時代に追いついていない件】

現代社会って、ほーんと物質的には便利になりましたよねww

私、自然農の考えかたで、お米づくりに携わっているんですけど、お米が出来上がるまでにすごーく手間がかかるのを知っています。

だから、スーパーでキロ数百円とかでお米が手に入ってしまう、現代の社会システムってマジですげえ!って思います。

ガチで、生きやすい世の中になったな、、って思う反面。

【生きやすさのせいで、生きにくくなる】

っていう面白い現象が起きてるなって思います。

どういうことか?

順を追って説明していきますね。

【原始の脳と、現代社会の乖離現象】

15万年前から私たちの脳ってあんまり進化していないと言われているそうです。

しかし、現代の社会は先程申し上げたとおり、、簡単に物が手に入ったり、毎日3食手に入る社会体制が整ってしまいました。

故に、、、

「脳が、時代に追い付いてないwww」

原始時代から近代にかけて、人間にとって大きな問題だったのが、「衣食住の問題」でした。

この衣食住が満たされる体制って、恐らくまだまだ50年くらいしか経ってない。

要するに、ベッドで安心して眠れて、寒さを凌ぐ服がちゃーんと用意されていて、1日3食食べて太り過ぎれるようになったのは、ここ最近ってことです。

そうして、社会システムが整っている現代に大切なのは、「長期的な思考」です。

しかしながら、脳は原始的ですので、「目先の快感」を最優先にします。

なぜなら、原始時代では、目先の快感を優先する方が生き残れる確率が高かったからです。

だから、脳からしたらまだ原始時代なわけですので、眼の前に飯があったら、今食べて置かないと次がないと感じちゃうwww

そんな脳の状態で、食がこれだけ豊富にあれば、そりゃあー肥満が問題になるよね。

あと、この便利さも私たちの生きる能力を削いでしまうという負の連鎖。

先ほども申し上げたとおり、脳は原始的ですので非常にエコであり「サボる癖」があります。

というのも、エネルギーを無駄遣いすると餓死してしまう可能性が高まるからです。

だから、こそ「できるだけ楽したい」という怠惰を求める性質が存在します。

故に、簡単に食料が手に入るなら、その方法を追求してしまいます。

その結果、自分で食料を調達する力を削がれています。

基本的にサービスというのは、「手間」を省くための構造ですよね。

つまり、食料を調達する「手間」を代替えしてくれているわけです。

お金を使えば、狩りをしなくても、栽培しなくても、採集しなくても、収穫しなくても、食料が手に入る。

これは「楽」です。

めちゃ「便利」です。

その結果、脳はこの便利さ、楽さに依存してしまいます。

そうして、食料を自分で調達する力を失っていきます。

これは移動とかもそうです。

新幹線や、飛行機でより遠くに、より早く行けるようになりました。

しかし、多くの人が運動不足です。

なんと運動するためにお金を払う人がいるくらいです。

野良仕事をして自ら食べ物を作れば、運動は勝手にできます。(なぜなら、それが自然だから)

けれども、脳は楽を選びます。楽をするためにお金を稼ぎ、運動不足に自分を陥れ、お金を使って運動します。

運動して、体調を整えて、できた余白で更にお金を稼ぎます。

そんな便利な世の中になってしまったので、生きにくいのです。

【現代社会の生きやすさによる、生きづらさ】

私たちの社会は肉体的な生存と獲得、肉体的な楽さを追求し、効率を追い求めて来ました。

ですので、カラダに関して生活する生きるということは、スゴく便利になりました。

しかし、便利になったからこそ、

◯心を込めたお料理
◯手間暇掛けて自分で作った衣類
◯日曜大工で心を込めた家具を作る

というような「心の豊かさ」を失っていきました。

物事に、手と間をかけるとそこに愛がこもります。

手と間を掛けて得たものは、単にお金で簡単に得たものより「ありがたみ」があります。

私たちは肉体の欲求を追求しすぎた結果、心の充足感、安心感、満足度を犠牲にしました。

サービスがその愛を感じるための「手間」を肩代わりしてくれるからです。

そして、サービスが消費されないと、経済が回りません。

よって消費を生み出すために、お金を稼いで消耗しています。

だから、肉体的には生きやすいはずなのに、生きづらくなっています。

【幸せな悩み・・・】

ま、、、原始時代の状態だと、幸せを追求する余裕なんてなかったですからね。

◯明日の食べ物
◯他人からの襲撃
◯野生動物の襲来

など、さまざまな脅威がありましたから。

肉体を生かして生活するだけで精一杯だったはずです。

やれ、男女の権利だとか、LGBTだとか、そういうことを考える時間もなかったはずです。

だからこそ、余計な事に惑わされることなく幸せだったと言う側面もあるでしょう。

毎日、ご飯を食べて、クソして、セックスして、寝る。

家族は、一緒に過ごして、一緒に働き収穫して食べて、遊んで寝る。

そんなシンプルな生活「しか」できないからこその豊かさがあったのだと想像します。

しかし、現代は社会システムが進化しすぎました。

原始時代なら能力のない人間は、容赦なく自然淘汰されましたが、現代は(私のように)雑魚い人間でも、なんとか肉体だけは生きられてしまいます。

加えて、情報過多です。

こういうのが幸せだよ、こういう生活が言いんだよ!SNSではキラキラ系の人が自分のライフスタイルをひけらかしています。

そんな状況ですので「自分は惨めなんじゃないか?」って思ってしまいますよね。

SNSや通信機器で、情報が手に入り知識も簡単に手に入る用になった反面、他人との比較も簡単になったり、自分らしさ以外の外部からの信念の植え付けも加速しました。

よって多くの人が混乱しています。

ね、、、生きやすいからこそ、生きづらくなってるでしょwww

【それでも、人類は概ね順調だ!】

私の私見ですが、それでも人間は概ね順調に進んでいると感じています。

サバイバルの時代から、ムラ集落や部族的な支配(集団的な生活)、武力が物を言う暴力の時代、権威と家柄による支配から、法の支配が生まれて、資本主義によって家柄に関係なく、職業を選べたりする時代になりました。

ホント、便利だし楽です。

もちろん、だからこその問題はあります(先ほど述べたとおりです)

けれども、人類はその問題も是正していくんじゃないですかね?

そんな風に感じています。

私は、ただ自然の法則に従って生きていくだけですwww

そんじゃ!また!!

松井万理

追伸:
もちろん、便利さ、楽さが悪いわけではありません。

ただ、「過剰」なだけです。

その過剰な欲の追求、刺激の追求が「堕落」を生み出しているだけです。

自制心を持ったり、手と間を掛けて「充足感」をつくることが、今後は必要になってくるでしょう。

その過剰すぎる利己心、感楽欲、承認欲を制限することへのニーズが高まるでしょうねwww

ま、、、、、、知らんけどwww

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?