自然か?不自然か?(心のコンパス

松井です。

繰り返し何度も申し上げておりますが、基本的に人生というやつは・・・

「自然の法則に従えば、上手くいく」

と、私は考えています。

だからこそ、「自然か?不自然か?」という判断軸が重要になると考えています。

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【自然か?不自然か?と言う自問と心の警察システム】

この自然か?不自然か?と言う問いを使えば、人間が本来持っている「自然法」と自分の状況を照らし合わせることができます。

私たちは、1歳半前後で、善悪を判断できるのではないかという実験データを聞いた記憶があります。

それで、証明できるわけではないですが、私達の心には確実に自分を罰するシステムが存在していると思います。

尊厳死の記事でもお話したように、これからはそのような「自律型法の支配」によって世の中が統治されていくと考えています。

例えば、無駄な暴利を貪れば、それが原因で心は罪悪感で重くなり、それを解消するために…

「食べ過ぎる(美容にこだわりすぎる)、持ち過ぎる(捨てすぎる)、孤独になっていく(晒し者になる)」」

という行動を取るようになると観察しています。

自分の利への比重が強い状態で利益を貪る人は、資産を巨大に持つことができるでしょう。

もし、その心が本当に自分の利に偏りすぎていたら、

◯無人島を購入して(財産を守るために)避難しようとしたり(島流しの刑)

◯必要以上に物を所有しようとしたり(足枷(かせ)の刑)

◯必要以上に美容にこだわってダイエットしたり(断食の刑)

◯食べすぎて身体が太ったり(脂肪による枷(かせ)をはめる刑)

◯必要以上に有名になってしまったり(晒し者の刑)

ま、、、そういう様々な刑罰を「自ら」に知らず知らずに課していくようになります。

自我の欲望の奴隷になるのが、本当はあまり自分にも全体にもとっても良くないと私たちは知っているように感じます。

だからこそ、自然合理に沿ってない事は、きちんと自分に正確に返ってくるように見えています。

もちろん、単に私が信じ込んでいるだけと言う点もあるでしょうねwww

んで、話が少し変わりますが…

【社会の流れが早すぎて法律が追いつかない件】

今の社会の流れが早すぎるがゆえに、法律や社会的なルールが追いつかなくなっています。

だからこそ、この「心の警察システム(罪悪感と恥)」を律している、、

「自然法」

が、重要になってくると考えています。

自然法は、コンテクストに依拠するので、ルールとして、

「これだからこう悪い!」

と、短絡的に反応するものでは在りません。

その状況のコンテクストを含めた深いルールになります。

理屈を超えた

「なんとなく自然か?不自然か?」
「なんとなく調和が取れているか?変な感じがするか?」
「なんとなく・・・・・」

という曖昧そうなルールようにおもうと思います。

例えば、子供がおもちゃが欲しくてとにかく泣いてしつこくごねる。。。この場合は「子供だから」赦すってこともありますよね。(もちろんそれは状況やコンテクストによりますが・・・)

でも、同じ戦略で40歳のおっさんが何かを共用してきたら、「いやいや違うでしょ?」となるじゃないですか?

年齢だけじゃなくて、いろんなコンテクストがありますよね。

時代的な思想とか、社会の緊張度合いとか、、まーいろいろ。

交通事故とか、確実な相手の損害とか、そう言うわかりやすいのは既存の法律でもカバーされていると思います。

しかし、日々の微妙なルールに関してはこれから「自然法」を駆使して判断することが主流になってくるのではと考えています。

性差別の問題や、ハラスメントのラインとかね。。。

他にも誇大広告とか、嘘か方便かとか。(それって恐らく背景の動機が重要になるよに感じます)

自然法は真理から発せられる自然なルールなので、厳密で厳格で、普遍的で普遍だと感じています。

だから、意見の齟齬は起こらない、、、はず。。。

でもね、、、

【重要:心のゴミが罪悪感というコンパスを歪める】

この自然法への感度が、鈍っている人がいるわけです。

いわゆる社会的常識に執着していたりする人です。

私たちは、元来持っている「自然法」の他に、自分の周囲だけで通用するローカルルールや、他人の利己的なルールを受け入れてしまう場合が多々あります。

そうして外から植え付けられたルールが含まれる「法の書」は、歪んでいます。

私たちが、取るに足らないことで自分を責めたり他人を責めるように見えるのはこの「法の書のエラー」に依るところが大きいのです。

※ちなみに、この私たちの「法の書」はほぼほぼ間違っています。

だからこそ、、

「自我を紐解き”勘違い”を手放していく!」

ってことが大切になるのです。

私たちは、全体を認知はできなくても全体の利益になるであろう行動か、そうでないかを察知する心を持っています。

「なーんとなく、違和感がある」

ということはその某かが反応しているのです。

※その反応もととなっている信念がエラーの場合もあります。

つまり、大切なのは・・・

【心のコンパスを磨いていくこと】

具体的にはフォースのエネルギーを手放していくことです。

怒り、欲望/失望、恐怖、苦痛/深い悲しみ/嘆き、無感動/無気力/憎しみ、罪悪感、恥・・・

このようなフォースのエネルギーフィールドに対する「執着」を手放していくことです。

私たちは、これら幻想的な感情が役に立ったり楽しいものだと信じ込んでいるので卒業が簡単でなない。

だからこそ、これらの感情をしっかりと感じて、待って、イメージの中で離れていくことで「卒業」を決意する必要があります。

・・・・

ま、、、そうは言ってもなかなか卒業できないよねwww

私も、その気持ち分かります。

けれども卒業すれば、意外と新しい物が入ってきたりもしますから、徐々に手放してみてね♡

松井万理

追伸:
全ては状況、コンテクストで変わります。

弱者と共に苦しみ生きるのか?

強者を引き伸ばしていくのか?

これからの時代はどちらが自然か?

お金、物的豊かさによって構築された今だからこそ、ギアを切り替える必要があります。

どちらが正しいのではなく、今野タイミングではどちらが自然なのか?です。

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