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内定ブルーを濁らせると大人になれるらしい。

私は就活を終わらせた。そう、終わらせたのだ。自分の意思と責任で。しかし、過去の多くの若者がそうであったように、私にも内定ブルークラブの招待状は届き、お招きに預かった。

振り返ってみれば、就活と私の関係が上手くいっていたことはなかった。あいつは私の悪口を言っていただろうし、私は大声で奴の悪口と性格の悪さを叫んでいたし。就活と顔を合わせなくて済んだ今、いなくてさみしいわ、なんて感情はこれっぽちもないし、むしろせいせいしたと思っている。でも、嫌いな奴と離れられたというのに、このもやもやはなんだろうか。
なんにでもなれたはずの自分を殺して別の何者かになろうとするときの成長痛だろうか。蝶はさなぎの中で、一度自分をドロドロにして、再構成して世界に飛び立つというし、それと同じで、このモヤモヤや痛みは、今まで作ってきた自分が社会という世界で飛べるように、ぐちゃぐちゃになるまで存在を作り変えているからなのだろうか。それは痛いはずだ。

内定ブルークラブの一員となった私は、模範的な会員として、思春期をこじらせたように、自分の存在とは何かとか、大人になるとは何かをひたすら考えている。
内定ブルークラブの会員でいることは辛く、苦悩の日々の連続であるが、私はこのクラブを退会することも怖い。このクラブは、大人になることを抵抗する最後のあがきみたいなものだし、内定ブルーのブルーは、なんとも言えない繊細さと脆さ、ざらつきを持った、魅力的な青色だ。退会は、すなわち内定ブルーを内定スカーレッドや内定モスグリーンにすることで内定ブルーを脱し、大人になる覚悟を決めることを意味する。このブルーを汚すには勇気と覚悟と、あきらめがいるはずだ。私はにはまだないものだ。

過去の退会者たちも、親や友人なんかの周りの空気、アドバイザーを名乗るやつによって、この美しい青色を濁らせてきたのだろか。一度濁ったら、もう二度と取り戻せない予感があるから、とても怖い。一生取り戻せないかもしれないこの青色、いつか美術館の絵の中でも安っぽい青春映画の中でもいいから、見つけられるといいのだけれども。


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