お前は既に、この円環の中の囚人である。
こんうんこ。
段ボールです。先日焼肉行きまして、その時の話をしようかなと思います。
こんなツイートをしているくらいなので、話の山場は明確で、一応、生々しい話になるので苦手な人は読むのを控えた方が良いかもしれません。
それで、ことの経緯なんですが、僕の母方の親戚は定期的に親族を集めて焼肉に行くんですよね。
そこにお呼ばれした感じです。
親戚といっても、僕に関してはその集まりの中心となる人々からすると割と遠めの親戚なのですが。
皆さんもご存知の通り、僕はクソ陰キャコミュ症キモキモレシート舐めオタクなので、人の多い集まりでは馴染めなくて苦手なんですが、この焼肉会だけは普段食べれないような良いご飯が食べれるのでそれなりに出席しています。
インターネッツではあんなにうるさい僕なので信じられないかもしれませんが、そもそも僕は現実では、極度の人見知りで知らない人の前ではクッソ無口なので馴染めるはずもないんですが。
まあでも親戚の方々は温かくて、良い人なので、典型的なガリガリオタクの僕に「気を使わずたくさん食べな」と次から次にお肉を焼いてくれたんですよね。
ホルモン、カルビ、なんかよくわからんちょっと焦げ目のついた肉、なんかちょっと赤い肉。
なんかちょっと赤い肉。
これ。これが良くなかった。本当に。
まぁ僕が自分で焼かないのが、全て悪いのでよそってくれた親戚を責めるつもりはないんですが。
皆さんはゴッドフィールドしか知らないと思うので、ご存知ないかとは思うんですが、肉ってちゃんと焼かないと腹壊すんですよね。
まぁでも、そんなにすぐに何か異変が起きるわけではなくて、その後も親戚の話が盛り上がる中、僕はそこまで親しくないので話題にはついていけず。
時間は過ぎ行きます。
高校時代、昼休み、盛り上がる周りの席の話題を盗み聞きしながら、ゴッドフィールドのレートを上げていた事を思い出し、俺もいつかあっち側に行ってみたいなと、僕の人生最大の課題、孤独と対面してみたり。
前きた時よりそこのジンジャーエールが美味しくなってて、美味すぎて泣きそうになったりして。
終わりの時間はすぐやってきます。
そう終わり。
そう人生終わるナリ。
ここで漏らしたら人生終わるナリ。
時は終盤、今から会計といった場面。
なんだか腹に違和感が。
「まぁ家に帰ったらといーれいくかー」などと心の中でのたまう。
会計も終わりかけ、焼肉店の自動ドアが開く、冷たい風吹き込む!!!
冷え込む!!!!
段ボールの腹!!!
圧倒的便意。
ここが運命の分かれ道でした。
ここで、時間をもらって焼肉屋のトイレに駆け込んでいればあんな事にはならなかったのでした。
しかし、ここで僕に眠る逆張り神の声が聞こえます。
「なぁ、段ボール。ここであえてトイレに行かなかったら面白いよなぁ?」
人生、その形は人によって様々、それこそが人生の、生きるという事の美しさであると僕は思います。
なんの災難にも合わない、平和にのどかに生きる湖のほとりのような人生。
苦難を乗り越え、多くのことを為し、己の名を誇れる星空のような人生。
厨二病を拗らせた末に、厄介事にも首を突っ込み、運命に踊らされ、酸いも甘いも楽しむゴッドフィールドのような人生。
そういえば、僕は魂の形が預言者なのでした。
ここであえてうんこをしないという選択肢、己の人生にあえて負荷をかける深すぎる特大プレミ。
文字通り深手を負う事になるこの選択ですが、このモードに入った僕はレシートでも舐めるし、ゴミゲーも100回勝つまで辞めません。
店を出て、すぐに親戚の車に乗り込む。車の中はまだ温かく身体が冷えないのでこれなら余裕か。最悪親戚の家のトイレを借りれば良い。そう思っていました。
時間はまだ21時。
道ゆく人々をネオンが照らす、星空の自然光による美しさとは異なるけれど、人類の進歩、そこまでに積み上げられてきた様々な人生の結果によって成されているこの光は僕は嫌いではありません。
なんて世界は美しいんだろうか。ああ、人類、永遠に。
車窓から覗く光景からそんな感傷に浸っている僕ですが、たった一つ世界で許せないものがありました。
焼肉屋でトイレに行かなかった愚か者がした最悪の選択。
この瞬間だけは戦争よりも大悪人よりも僕が忌み嫌うTwitter Blueよりもそれだけが、その選択をした己だけが許せませんでした。
もう世界の終わりは、僕の腹の中に眠る特大ミサイルは、その発射準備を終え、今空に羽ばたかんとしていました。終焉を意味するそのミサイルはもう半分くらいこんにちはしてるんじゃないかと思うくらい、叫びをあげている。彼は自由を求め、今、僕という楔から解放されようとしています。
この瞬間、ある人が自由を求める時、ある人の幸福を破滅される事もあり得るという世界の真実が僕に突きつけられていました。うんこの意志か僕の人生か。
究極の二者択一。
思考する僕。自由を訴えるうんこ。耐える僕。対抗するうんこ。せめぎ合う2人の意志。
「正義とは唯一絶対でない、人生の、幸福の形が多種多様であるように、湖のほとりの石ころが一様でないように、星々の明るさが、大きさが、形が、構成する物質が、それぞれ異なっているように。」その事実をただ世界から突きつけられるようなその争いは、ある一声によって今休戦を迎える。
「ちょっとライフよってくれへん?」
ライフ、人生。
違う、スーパーの名前だ。スーパー。生活用品店。建造物。駆け巡る思考。
僕たちの正義の唯一絶対の両立点。和解の兆し。
「あー、じゃあトイレ行こうかな。ライフで」
刹那、今日一番の笑顔で僕の口からはそんな言葉が放たれていました。腹の中の彼もこちらに微笑みかけてくれている。なんだかそんな感じがしました。
僕たちは手と手を取り合い、スーパーへの到着を待つ。分かり合える事の素晴らしさ。ただそれを噛み締めながら。
到着。
トイレに駆け込む。
ああ、幸せとは生きるとはこういう事だった。
帰還。
親戚の買い物の終わるのを車で待ち、出発。
あんなにも永遠に思えた苦しみの時間からは比べられない程に、瞬く間、親戚の家に到着。
親戚への挨拶を早々に済ませ、自転車で来ていた僕は家に向かう。
冷たすぎる風は様々な対立を生む、現代社会を思わせる。けれどぼくは平和の素晴らしさを手を取り合う美しさを知る心をその暖かさを、彼との物語の中で手に入れていた。今ならば、もうこの夜でさえ愛おしく思える。
帰宅。良いツイートのネタが出来た。
けれど汚すぎる。こんなものが一目についてしまっては一生残るデジタルタトゥーになってしまう。
まぁ記録としてだけ、表面だけのツイート。
数十分だろうか。リツイート。
人は醜い。世界が憎い。
恨みを抱き、布団に潜る。
目が覚める圧倒的吐き気。世界への憎悪が招いた結果か、赤い肉の招いた結果か。
食あたり。腹が痛い。久方ぶりの嘔吐。気分が悪い。
それが、もの1・2時間前の話。
このままで終わって良いのだろうか。ここで僕が止まってしまえばただの負け犬だ。
インキャでうんこ漏らしかけて、ゲロ吐いてインターネットタトゥー。
せめて何か、この世界に遺したい。
そして生まれたのがこのnote、世界の美しさを謳いながら、その実態は憎しみ。悪意。
僕が遺したのはうんこの歴史。
1.うんこで気づいた世界の美しさ
2.うんこで気づいた預言者の醜さ
3.うんこで築いたこのnote
"最強のうんこ三毛作"
なぁ、気づいているか?お前に言っているんだぜ。このnoteを今画面で読んでいるお前に🫵
お前は、既にこのうんこスパイラルによって、クソの記憶が脳裏に擦り付けられているという事実に。
そうだぜ。
お前は既に、このうんこという円環の中の囚人である。
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