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「南桂子展 透き通る森」に行って

 「南桂子展 透き通る森」に行った(ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション)。南桂子の銅版画は、関係書籍やオスカー・ワイルド、梨木香歩の装画で知っていたが、実際に観たことはなかった。また昨年2021年に開催された生誕110年記念「蝶の行方」展に行けなかったので、今年はぜひ展覧会で南桂子の世界に浸りたいと思っていた。
 10月15日(土曜日)に鑑賞。1階には18作品、地下1階には8作品に加え、特別企画として作家・小川洋子が選んだ21作品も展示、小川さんがどの絵を選んだかも興味深かった。 
  少女・鳥・魚・木・船・城・塔...。静かな空間の中に潜む儚さと幸福。寂しい気配が漂うのに、同時に満ち足りた気持ちにもなる不思議。南桂子の世界を二人の作家が的確に表現しているので、引用したい。まずは小川洋子、エッセイ「友だちのお城」から(『船の旅 詩と童話と銅版画 南桂子の世界』筑摩書房に所収)。

"~例えば少女と名付けられた彼女たちの黒い瞳や固く閉じた唇やなで肩のラインは、幼さよりも老成した寂しさを感じさせる。特に羊を連れた彼女の足元の、何とひっそりしていることだろう。見送る人もないまま、羊と犬と一緒に、これから死者の国へ歩み出そうとしているのではないかと、思ってしまうほどだ。"

"本当ならば、静か、などというありふれた言葉はふさわしくないのかもしれない。そこにはどんな言葉も届かない、深くて澄んだ空気が流れている。"

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 このエッセイは会場にもパネルで展示されていた。南桂子に深く共感した文章だと思う。
 もう一人、有𠮷玉青。エッセイ「少女の目、哀しみ、そして幸福」から(『銅板画家南桂子 メルヘンの小さな王国へ』平凡社に所収)

"幸福と哀しみは相反するもののようでいて、南さんの世界では静かにやさしくとけあっている。あるいは、歓喜にあふれるばかりが幸福なのではなく、それはむしろこの世の憂いの茂みの中にひっそりとあることを、南さんの作品によって気づかされたのだ。寂しさ哀しさを知る者だけが、その小さな幸福を見つけ、そっと心に抱くことができるのではないか。"

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 南桂子の世界は、孤独で儚く寂しいが、不幸ではない。少女の眼差しも一見無表情で虚ろだが、じっと見てると色々な感情が見えてくる。鳥や魚などの生き物はもちろん、城や船などの無機物にさえも、そこに存在していることの幸福が静かに伝わってくる。
 もう一つ、南作品に感じるのは物語を誘発する力。これも小川洋子さんが指摘されていて...。
(続く)


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