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人のいない楽園 序章        敗北の記録 第三話


2023年8月中旬、巧は某中堅医療機器商社に入社して5か月目に入っていた。いくつかの失敗はあったもののその失敗を乗り越え愛する恋人、京子との結婚生活を夢見て歯を食いしばり耐えて来た。入社数か月で新卒営業社員が何人か退職していく中、辞めずに努力してきたのでその頑張りがようやく認められ、今月から会社から研修に行かせてもらえるようになった。8月の熱い太陽光が降り注ぐ中先輩営業社員数名とともにある医療機器メーカーの新製品発表会に参加すべく電車に乗っていた。「早いねーもう5か月目だねー。桜木君はもう会社には慣れたかい?。」巧はやや眠そうな目をしていたが先輩の声にハッとなった。「ええ、おかげさまでなんとか。」「最近は隔週一日しか休んでいないんだって。ちゃんと休んだ方がいいよ。」「でも俺仕事が遅いからそうも言ってられなくて。」苦笑いする巧。「まあ今日は仕入れ先の新商品発表会だ、そんなに気負わなくてもいいよ。」「はい、そうします。お気使いありがとうございます。」「今日訪問するオリエンタル工業は義足、義手、人工臓器などを開発、生産する日本の老舗メーカーだ。医療器具だけでなく様々な分野で活躍している高い技術を持ったメーカーだからいい勉強になるよ。」「はい、楽しみです。」京子との結婚生活を夢見る巧は今日の発表会でしっかり勉強してその知識を営業に取り入れて社内の評価向上に役立てようと張り切っていた。「オリエンタル工業はね、男性なら大喜びする魅力的な商品も作っているんだぜ~。」なぜかいやらしい雰囲気でにやりと笑う先輩社員。「へーそれは何ですか?。」「見てのお楽しみさ。へへへ。」またにやりと笑う先輩社員。駅からバスで15分ほどでオリエンタル工業の工場に到着した。工場は空気が綺麗で水資源が豊富な高原にあるため夏だというのに汗一つかかないほど涼しかった。工場の入り口の受付には医療機器商社や病院関係者など数多くの見学者が訪れている。「某中堅医療機器商社の皆様ですね、お待ちしていました。」受付の女性が感じよく入り口で会釈して工場入り口の控室に案内してくれた。「ここでしばらくお待ちください。ただいま担当のものが参りますので。」巧達は控室の椅子に座った。控室には会社の略歴年表のようなものが貼られていた。熱心に見る巧。「なるほど、終戦直後に戦争で障害を負った方々向けに義手や義足を作っていたんですね。」「ああそうだよ、でも傷つくのは体だけではない。心が傷ついた人たちも数多くいたのだよ。その心のケアもこの会社の方針なのだよ。」「心・・・ですか?。」今一つ分かっていない様子の巧である。「お待たせしてすみません。さあご案内いたします。」オリエンタル工業の担当者がやってきて巧達を工場に案内する。工場内の入り口に広大な展示スペースがあり数多くの医療器具が展示してある。様々な義手義足、人工臓器。車椅子、福祉車両の模型など数え切れないほどである。
一通り見学すると奥に又別の展示スペースに案内された。「こちらは心のケアをテーマとした展示ブースです。」案内されるまま展示物を見学する巧達。すると巧はある展示物に目が釘付けになった。「これはいったい・・・。」隣の先輩営業社員が得意げに巧みに話す。「これだよこれ。今日のメイン展示物さ。」巧は見てはならない物を見てしまった。巧が目にしたのは大変美しい女性達である。プロのモデルや芸能人よりもはるかに美しくスタイル抜群で露出度の高い衣装を着た色白の女性達である。「驚いただろう。これは等身大リアルドールさ。」「等身大リアルドール?なんですかそれ?。」先輩社員は得意げに等身大リアルドールについて話した。「これが・・・人形・・・信じられない・・・・人間にしか・・見えない・・・。」見た目至上主義の巧はその美しさにすっかり魅了された。「京子よりはるかに綺麗だ・・・・。いかんいかんいかん俺には京子という恋人がいるんだ。いくら美しくても所詮は人形。人間にはかなわない。」しかしその美しさには抗えず巧は展示してある等身大リアルドールをじっと見つめ続けていた。「写真撮っていいですか?。」「ああもちろんです。」快く写真撮影を許可してくれた。夢中になり数え切れないほどの写真を撮る巧。「桜木さんは等身大リアルドールが大変お気に召されたようですね。どうですか記念にツーショット写真など。」「ええ!いいんですか!ぜひ。」大喜びで一番気に入ったドールの隣に立つ巧。「どうせならドールの肩に手を回して腰にも手を回してください。では行きますよ!。」ドールと密着した姿勢でツーショット写真を撮ってもらう巧。天にも昇る気分だった。「思ったより柔らかいんですね。恋人の肌の感触と遜色ないです。」「ほう、そうですか。ではもっとお試しになりますか?。」担当者はドールの胸を指さした。「さあ触れてみてください。どうそ。」巧はおそるおそるドールの胸に触れた。「え!これは・・京子の胸と同じ柔らかさだ。すげえ!。」手のひらの感覚がこれまで散々触った恋人の胸の感触とほぼ同じであることを実感した。巧は衝撃を抑える事が出来ずじっとドールを見つめたままだった。
見学を終えた巧達は控室で新商品の解説を聞いていたが巧は上の空だった。解説を終えた担当者が質問がないかと言ったので勢いよく巧が手を挙げた。
「この等身大リアルドールという商品は何のために開発されたのですか?。」担当者は答える。「用途は様々ですが当社の開発理由は障害者の方々を救う為です。心や体に障害を負って結婚や恋愛を諦めた方々や様々な理由で心を病んだ方々、妻に先立たれたご年配者様や貧困の為結婚できなかった方々などの心をケアする事も当社がこの製品を開発、生産する理由です。当社は障害者割引制度もございます。まあもちろん性的欲求を満たすためのアダルト商品でもあります。」巧は生まれて初めて等身大リアルドールを見た。ダッチワイフの存在は以前から知っていたがこのような進化をしている事を初めて知った。人間と区別がつかない上質の等身大リアルドールの実物を見て触った事でこれまで味わったことが無いものすごい衝撃を受けた。「御社は体だけでなく人の心も癒す商品を作っておられるのですね。心を病んでいる人は数え切れないほどいますしその理由も様々ですよね。であれば心を癒す方法も様々でなければなりませんよね。」担当者は嬉しそうな表情になった。「そう言っていただけると嬉しいです。今日は皆様と会えて本当に良かったです。」
見学会は午後3時に終了しこの日は現地から直接家に帰る事を許された。巧は早速京子にメールを入れたが返事は来なかった。「急な連絡だし京子も忙しいんだろうな。」
同日午後3時京子はあるホテルの高層階で寝ていた。一般人が宿泊できない高級ホテルのダブルベッドになぜか全裸で寝ていた。「うーんうるさいな。」京子は携帯を見る。「なんだ、巧じゃねえか。」ラインメールの着信を見るや否や電源を切った。すると奥から小太りの背の低い男性が京子に近づいてきた。「昨日はいかせてあげられなくてごめんね。もう一回だけしないか?。」高級赤ワインとグラスを持ってやってきたのはあの野沢健司だ。いったいどういう事だ!。
実はこの二人巧が休日返上で京子に会えない事をいいことに何度も密会を繰り返しているうちに何度もホテルで一晩中愛し合う行為を繰り返していたのだ。「なあ京子、巧とはいつ別れるんだ?。」京子は眠そうな声で答える。「何言ってんのよ。あんたもひどい男だよね。取引先の社員の恋人を寝取るなんてさ。」「おいおい、ひどいのは京子だろう、散々誘惑して散々じらしておいて。」実は京子はあれから何度も恋人の相談という口実で野沢に会いに行っていた。理由の一つとして巧が休日返上で働いていたのでほとんど会えなかったのでさみしさもあったようだ。さらに不動産会社社長の長男と婚約した女子友にマウントを取り自分の方が上だと分からせるためでもある。その為二股をかけているようだ。野沢と何度も会うようになり欲しいものを何でも買ってもらい贅沢三昧の生活をさせてもらっているうちにだんだん安月給の巧と付き合う事が馬鹿らしくなってきたのだ。野沢と男女の仲になった理由は何度も行為を重ねる事で最終的に妊娠させて婚姻を迫る狙いもあるようだ。「さあ、もう一回しようか?。」「今度はちゃんといかせてよね。」二人は又ベッドに入った。
京子は大学を卒業してアパレル会社に就職したが勤務態度が悪く何度も上司に注意された。遅刻早退は当たり前で上司とは何度も口論になった。ある日上司に切れられて怒鳴られた事に腹を立て入社して3か月で休職したのだ。ヒマを持て余した京子は巧と会おうにも社会人一年目で忙しい巧はなかなか会う事が出来ない。ヒマなのでたいして仲良くない学生時代の友人と会うようになったがある日婚約の知らせを聞いてマウントを取られたと思いマウントを取り返すために野沢を誘惑し二股かけているのだ。「もう病院に行かなきゃ。医者不足の世の中だからね。京子ごめんね。早く彼氏と別れてくれよ。」言い残して野沢はそそくさと身支度をして病院にタクシーで帰った。「やっといなくなったか!あのへたくそ。さっさと自分ばっかり何度もいきやがってさ。金と地位が無けりゃただの醜い動物じゃない!。結婚したら陰で若い男と遊び倒してやるわ。」京子はものすごく恐ろしい事を考えているようだ。
翌日 巧は久しぶりに昨日は早く帰れたので十分な睡眠時間を取る事が出来た。昨日の出張の土産を持って早めに出社した。すると休憩室に以前失敗した時に励ましてくれた先輩社員の声がしたのでお土産を渡そうと休憩室の扉に手をかけたすると・・・「そうなんだよ、吉田さんの前で私はいい人だとアピールするつもりで桜木君を励ましたんだけどね。結局私は吉田さんにふられちまってさ。」吉田さんとは社内の独身の30歳OLでメガネが似合う綺麗な女性である。どうやらこの先輩社員は吉田さんにいい人アピールするために巧を励ましたようだ。「吉田さん彼氏いたんだね。来月寿退社だってさ。あーあ。」巧はなーんだそうだったのかとちょっとくすっと笑いそうになった。しかし・・・「桜木君みたいなイケメンはいいよな。あんな仕事できない使えない奴でも綺麗な彼女出来るし。」その言葉を聞いた巧は体が硬直した。すぐにお土産を持って自分の席に戻った。「人の心って分からないものだな。何考えているか分からないものだな。あの人は信用できないな。」励ましてくれた先輩社員の事が大好きになっていつも笑顔でよく話をしてたまに飲みに行ったりしていて心を許していたのにとても残念だと巧は思った。「これからは誰も信用しない事にしよう。決めた。俺の心の支えは京子だけだ。京子・・・。」巧のスマホには京子のスマホの待ち受け画面がありそれを見つめていた。傷心の巧だが朝の朝礼が始まると引き締まった表情で上司の言葉を聞いている。「今月で新入社員の松原君が一身上の都合で退職する事になった。松原君はすでに退職手続きを終えた。」巧は人の事を気にしている余裕はなかったがそういえば姿を見なかった事を思い出した。次々と社員が辞めていく。報告をする上司の言葉に感情はなく事務的に報告するだけだった。「俺は絶対やめないぞ!。」
一方同日同時刻野沢健司の大病院で野沢はオーナー院長に呼び出されていた。「健司。おまえも今年で30だ。そろそろ身を固めてもらわないと困る。」院長は怖い顔で健司を睨む。「そうはいってもお父さん婚約者を探してくれないじゃないですか。」「うちのような由緒ある大病院の嫁をそう簡単に探せるわけがないだろう。今お前にふさわしい家柄の頭脳明晰で容姿端麗な女性を探している。」「いつもそう言っていつまでたっても婚約者を見つけてくれないじゃないですか!。」くってかかる健司。オーナー院長は引き出しからある書類と写真を取り出した。「これを見ろ。」
「なんですかこれ。えええー💛ものすごい美女ですね。」健司が見たのはある女性の写真である。「私が香港の大学病院に留学していた頃にお世話になった大学病院の院長の娘さんだ。イギリスと香港のクオーターで身長165cmだ。奥さんは元女優だ。この娘さんは北京大学を首席で卒業している。」「こここここれは。綺麗だ。お父さん、ぜひお会いしたいです。」「わかった。では見合いを早速手配しよう。」なんと健司は京子と付き合っているのに見合い写真が気に入ったらしく二つ返事で見合いを了承した。

続く


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