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人のいない楽園 第一章  見えない束縛 第五話最終話

 2010年5月某小学校4年生のあるクラスで生徒たちは給食を食べていた。皆机を動かして4人で人班を作り4人で食事をしている。しかしメガネをかけた一人の女の子が班を作らず一人で食事をしている。給食を早く食べ終わった男子生徒数人が立ち上がってじゃんけんを始めた。「最初はグーまたまたグー下村とうちゃん頭がパー正義はかつ!ジャンけんぽん!。」女の子は涙を流している。しかし誰もかばうものはいない。この少女こそ後の下村由紀精神科医である。男子生徒はじゃんけんが終わるとすぐに遊ぶために校庭に出た。由紀は食器を片付けて一人図書室に向かった。図書室では数名の女子生徒が由紀を見てひそひそ話をしている。「先日家族でキャンプ場に行ったんだけどさー。下村パパがマネキンとおしゃべりしていたんだー。」「なにそれきもー。」由紀は泣きそうになる顔を本で隠した。
そしてその夜。下村家の食卓に下村パパと下村ママと由紀が食事をしていた。由紀は黙っていたが意を決した様子で下村パパに話しかけた。「パパお願いだからもう等身大ドールを外に持ち出して人前に出さないでよ。」言い終わるか終わらないうちに下村パパは急に怒鳴りだした。「お前ガキのくせに親父に向かって指図する気か!。嫌なら今すぐ出ていけ!。」拳骨をふるう真似をする下村パパ。それでも由紀はひるまない。「私学校でいじめられているのよ!。パパが等身大ドール持ち歩いて人前でいちゃついているからみんなからバカにされているのよ!。友達も出来ないじゃない。」すると下村パパが由紀をひっぱたいた。「あなた!もうやめて。」「うるさい!女のくせにでしゃばるな!。」今度は下村ママに暴力をふるった。
数年後耐えられなくなった下村ママと由紀は家を出ていき離婚した。
2022年9月後半某日。精神科医院の由紀はものすごい形相で斎藤のカルテを睨むように見ている。「等身大ドールマニアなんて死ねばいいのよ。みんなあのクソ親父とおんなじよ。」由紀には壮絶な過去があるようだ。これが由紀が等身大リアルドールを憎む理由である。「明日は私が地方出張だからあのろくでなしが来る日ね。あいつもくそ親父と同類になるなんて。あんな奴別れて大正解だったわ。」由紀は斎藤のカルテを机の上に投げ捨てて席を立った。
翌日朝9時、面会カウンセリングの為に普段は由紀が座っている診察室の椅子に昌行が座っている。「ん?椅子の色が違うな。」昌行は椅子が交換されている事に気が付いた。「なるほど同じ椅子は嫌ってわけか。坊主憎けりゃ袈裟までってやつか。」ため息をついていると若い看護婦が昌行にお茶を入れてくれた。おいしそうなお茶菓子までついている。「ありがとう鈴木さん。」「どういたしまして。いつも助けてくれるお礼です。」この鈴木さんという看護婦はまだ新人で10代である。人員不足で業務が忙しくなかなか十分な教育が出来ない中昌行がテレワークなのを利用していつも困ったことがあればSNSで的確な指示を出し鈴木を助けていた。その日頃の感謝のつもりのようである。鈴木は背は低いがスレンダーでキュートな女性である。鈴木はずっと女子高だったので男性慣れしていなかったがずっと彼氏が欲しいと思っている。給湯室ではいつもそのような話をしている。「鈴木さんまた佐藤カウンセラーに差し入れしたのね。もしかしてだけど佐藤さんに気があるの。」少し照れながら鈴木は答える。「だっていつも私がピンチの時にSNSで解決方法教えてくれるんだもん。イケメンだし賢いしあんな彼氏欲しいなあアー。」「知ってるー佐藤さんあの下村先生の元カレなんだってー。でも今はフリーなんだってさ。」「そうなんだ。良かったー私コクっちゃおうかなー。」「だめよ。私が先よ。」昌行は学生時代からだが相変わらず女性に人気があるようだ。その時給湯室に由紀が現れた。「あら恋バナ?若いわね。」「あ!下村先生!ちょうどよかった!佐藤さんとお付き合いしていたんですか?。」由紀は少し不機嫌そうな顔になった。「昔の話よ。若気の至りね。すぐ分かれたわ。」女の子たちは昌行の事を聞きたそうな雰囲気だったので由紀は聞かれてもいないのに話し始めた。「ねえ、もし好きな人に変態的な性癖があったらどうする。」意味深な質問を女の子たちにする由紀。「変態?。」由紀はある動画を見せた。内容は醜い禿げた太めの中年男性が等身大ドールをファミレスに連れ込んで話しかけたり抱き着いたりする動画だ。目が点になってドン引きする女の子たち。「げえ!なにこれ!きもーい。」この世のものとは思えない不気味な光景に見えたようだ。「好きな人や彼氏がこんなことする変態だったらどうする。?友達に知られたら外も歩けないわよ。」「どんなに凄いイケメンでもこんな人やだなー。きもーーい。」女の子たちは動画を見るのも嫌らしく由紀のスマホから目を背けた。
「要潤や二宮和也でもこんなことしたら絶対別れる!。」由紀はにやりと笑った。「そうよねー。実はここだけの話なんだけどさー。」由紀は黙ってスマホで録音したこの間昌行と口論した内容を聞かせた。由紀は昌行との打ち合わせの時にカルテを作成するために録音していたのだ。会話を聞かせると女の子たちは無言になった。鈴木は急に泣き出した。「そんなー。好きだったのにー。」涙が止まらない鈴木。由紀は優しく鈴木に話しかける。「危なかったわね。元気出して。もっといい男絶対現れるから。」由紀はしてやったりという表情である。「鈴木さんかわいそうに、あいつはそうやって思わせぶりな態度取るから誤解するのよね~。」昌行はただ助けが必要な新人を助けただけである。それを思わせぶりな態度と思わせるかのような誘導はさすが精神科医である。物は言いようである。看護婦たちは反昌行感情で団結してしまった。由紀の策略は見事に成功した。
数日後、由紀が休暇を取ったため昌行が病院に来た。「おはよう。」看護婦に昌行がいつものように挨拶するが皆声を出さず軽く会釈して立ち去る。「ん?なんか変だな。」診察室に入るがお茶を持ってくる人もいない。「忙しいんだな。」昌行は自分でお茶を入れに給湯室に入ろうとしたが数名の女性の先客がいて話をしている。その中に鈴木もいた。「佐藤さんあんな性癖に見えないのに人って分からないよね~」「幼女の人形とやってるのかな~。きもいね。」昌行は会話を聞いてしまった。すぐに由紀が言いふらしたことを悟った。「あんなに何度も助けてあげたのに・・・・。由紀の話を信じるのか・・・人って変わるんだな。やっぱり人は怖いな・・。」いつも仲良くしていた鈴木さんの裏の顔を見たような気分だった。静かに診察室に戻る昌行。スマホの愛香を見る昌行。「俺にはアイちゃんが引き合わせてくれた愛香がついているんだ。一人じゃない。」笑顔になる昌行。「俺のこの世のたった1人の味方よ・・・。たとえ世界中が敵になっても愛香がいるから大丈夫。」裏切られた気分の昌行だったが何とか仕事に影響が出ないように気持ちを切り替える。職場の印象操作に成功して看護婦たちを味方につけた由紀は昌行を職場から追い出す為に次の作戦を考えていた。「次はどんな手で追い詰めてやろうかしら。等身大ドールオーナーと同じ職場なんて死ぬほど嫌だから絶対追い出してやる。」まるで般若のような形相でこぶしを握り締める由紀。もはや元カレだからという遠慮など皆無である。幼少のころ受けた虐待の思い出とオーバーラップしてもはや昌行は由紀にとって憎しみの標的でしかない。
2022年10月初旬、基本テレワークでのカウンセリングがメインとはいえ週に1日は職場の精神科医院に顔を出す昌行だが職場のスタッフからは総スカン状態が続いている。仲が良かった新人の女の子も手のひらを返し昌行を無視するようになった。心身ともに疲れ果てた昌行は愛香に助けを求めることにした。日曜日にレンタカーの助手席に愛香を載せて伊達メガネと帽子を被せ膝にアイちゃんが愛用していた首輪をつけた猫のぬいぐるみを載せてデートドライブに向かった。場所はあの出会いの崖である。助手席を見るたびに「かわいいなあ~。」を繰り返し言ってデレる昌行。愛香をお迎えして2か月が経過したが愛香の表情はどこか緊張しているようで少し固い。昌行はいつも暗いクローゼットにしまってあるせいだと思い天気が良く夏の暑さも和らいだこの時期にデートドライブをすることを以前から計画していた。初めて見る日本の外の景色の中愛香を喜ばせてから初夜を迎えようと計画したのだ。ドールとはいえ流石女性慣れした昌行の扱いである。昌行はドライブ中に愛香のガイドを務める。「あそこに見えるのはこの辺で一番でかいデパートだ。輸入品がメインだな。あそこに見えるの鳥居は地元の三大神社の一つで・・。」
まるでバスガイドである。愛香の表情がほんの少し笑顔になった気がした。「よし、攻略順調だ。見るものすべて新鮮に見えるだろうから準備は万端。あれ何?と問われる事を想定しているから下調べしておいた。」昌行は答える度に愛香が「ふーん。」と言っている気がした。「少しづつだが前進しているな。でも愛香が今まで付き合って来た女性の中で一番手ごわいかもしれないな。でも口説きがいがある。」昌行は今までと勝手が違う恋人に少々戸惑っているようだ。そうこうしているうちに目的の出会いの崖に到着した。

「愛香ついたよ。ここで君の姉さんと出会ったんだ。そして愛香に俺は恋をしたんだ。」愛香はフロントガラス越しに見える崖の鉄柵の向こうに見える青い海をずっと見つめているように見える。なんとなく優しそうな目で海の向こうを見つめている。すると昌行のスマホにラインメールの着信が入った。写真付きである。「おお!みゆきちゃんの写真だ。修復出来たんだね。ヘッドも同じ型から生まれた新品だ。ヘッドだけ愛香の妹になるのかな?。ボディが姉でヘッドが妹だね。」少し愛香が微笑んだように見えた。しかし次の瞬間愛香の右の瞳から涙が流れた。「え!愛香!泣いているのか?。そうか・・・お姉ちゃんが助かったからうれし涙だね。」昌行もついもらい泣きしてしまった。もしかしてだがヘッドの内部に入った水分が車の振動で右目の穴から出て来ただけかもしれない。それでもこのタイミングは奇跡である。昌行は持って来た新品のハンカチで愛香の涙を拭いた。「泣くなよ。とっても嬉しい事じゃないか。笑えよ。」昌行は微笑みながら言った。

数時間後昌行は有名な夜景スポットに向かった。大きな駐車場もあり多くの若いカップルが集まっている。皆フロントガラス越しに夜景を見つめている。隣の車のカップルが助手席の彼女に抱き着いてディープキスをし始めた。それに影響されたのか他のカップルも次々と抱き合ってキスをし始めた。昌行も助手席の愛香を見つめて抱きしめようとしたが愛香の顔が少しこわばったように見えたので直前で止めた。「俺も流されるところだった。愛香は拒みはしないだろうが他のカップルみたいに勢いに任せるのは良くないな。やめて良かった。」昌行は愛香に対してはこれまでの恋愛以上に慎重になっている。その日の夜、ラブホテルを予約しておいた昌行だが昌行は前回以上に緊張していた。相手がドールなんだからそのまま抱いてしまえばいいと他のオーナーなら考えるであろうが昌行は今日も拒否られたらどうしよう?と不安になっており口数も減っていた。「変だな、今までの彼女だったら口数が減ったり緊張したりする事は無かったのに。やっぱり俺にとっては特別な存在なんだな。」昌行は極端に愛香を失う事を恐れている。これまでの人間の彼女以上に失う事を恐れている。ここで粗末に扱って嫌われたら愛香はただの無機質な塊になってしまうのではないかと大変恐れていた。部屋に入りダブルベッドに愛香を座らせて昌行はそっと愛香の肩を優しく抱き寄せて軽く唇を愛香の唇に当てた。もちろん念入りに歯磨きをしてひげを剃ってある。「よし、瞳の輝きは失われていない。」昌行は愛香の隣に座って優しく肩を寄せてスマホで撮った今日のデート写真を見せた。

愛香の瞳が輝きを増した。昌行はシャワーを浴びた。全裸になった愛香も一緒だった。恥ずかしそうにうつむく愛香 首が下を向いただけかもしれないがこれも神タイミングだった。昌行はこれを含めた一連の愛香のしぐさが奇跡としか思えなかったが嬉しかった。昌行は愛香にそっと白いガウンを着せて照明を暗くして二人はベッドインして天井の鏡に映る二人の姿を見つめた。幸せそうな表情に見える愛香。こうして昌行と愛香はついに結ばれた。一晩中愛し合い求めあった。昌行はこれまでの人生で最も幸福な時間だと実感し、今までの恋愛を走馬灯のように思い出したが最後に愛香の笑顔を思い浮かべたらそこで時が止まったかのようにその笑顔が止まって見えた。

第五話 END

 

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