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御巣鷹山日航機123便事故から39年

1985年8月12日午後6時56分ごろ、
羽田発大阪行き日本航空123便ジャンボ機が、
群馬県御巣鷹山の尾根に墜落。
乗客、乗員520人が死亡した。
生存者は4人だった。

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あの大事故から今年で39年が経過した。
1985年は、ホテル・エドモントが開業した年で
6月にオープンしたばかり、
何気なく見ていた従業員食堂のテレビに流れた
ニュースにビックリしたのを、今でもよく覚えている。

あれから39年経ったということは、
今や、この事故自体を直接知らない人の方が多いのかも知れない。

更に言えば、
JALは、世界の主要都市にホテルを展開していた
ことを知る人は少ないだろう。

私がホテル業界に入ったのは、1977年である。
当時、フランスパリにニッコードパリは営業していた。

そして、その後ニューヨークの一流ホテルであるエセックスハウスを、とんでもない金額で買収したのは有名な話である。

山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」にも、詳しく書かれている。

エドモント在籍中の1987年だったと思うが、
女房と、エドモントの同僚と3人で香港に行ったことがあった。

当時開業したばかりのニッコー香港の中華レストランに、エドモントで一緒に仕事をした先輩が
マネージャーで採用され、我々は、先輩の様子を見に行ったりもした。

今やJALは、海外はとっくの前に撤退して、
そして国内のJALホテルもオークラに売却している。

JALがホテルを経営していたなんて、
誰も知らない時代になっていくんだろうか、、

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