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たとえ損とわかっていても

話は随分前に遡る。

こんな日記を書いているが、
私は本来は敏感で、平和主義者だった。(と思う)
光や大きな音があまり好きでなく、まして人同士が争うなんて尚更で
子供時代は両親が喧嘩しようものならすべて自分の所為と思い
『自分が透明人間になるか、もしくは皆が自分を忘れてしまえばいい』
そう思っていた。
そしていまでもその片鱗は一応はあるんだと思う。

とにかく、幼少期はそんなだったので
当然ながら怒られたりいじめられたら泣くし、親が何故双方自分の意思をもって喧嘩しているのかもよくわからなかった。
自分が我慢さえすれば(あるいは双方譲り合えば)平和になると思っていたからだった。

しかし成長するにつれてそれは徐々に変わっていった。

まず、8歳くらいのとき、
声を出して泣くのをやめた。
(↑良いかどうかは別として)
泣いていたらずっとやられる側になると思ったからだ。

次に10代前半になり、
殴られたら殴り返すのを覚えた。
(↑これも良いかどうかは別として)
ただ、子供同士だったから運がよかったのか、不思議に友達関係は壊れることなく中学以降まで続いた。

そして、成長するにつれいよいよ気付いた。
なぜ喧嘩しても(とくに母親が)自分が不利でも一切引かなかったのか。

それは、人生には絶対に譲ってはいけないというポイントがあって、
ここは絶対自分が正しい(or相手が間違ってる)と思ったら、
たとえ不利だろうがなんだろうが引いてはだめで戦わなくてはいけない、
ということだった。

もちろんやり過ごした方が上手く行く場合とかも多分たくさんある。

でも自分にとっては
「やっぱりあの時ああすればよかった」
「なんでここでこう言えなかったんだろう」的後悔は
後々においてずっとひきずると思ったし、
ある意味自分に対する約束みたいなのを守れなくなることによって、
そうやってだんだん自信を失っていくんだと気づいたからだ。

きっと自分にとっての家庭は
イコール安らぎではなくて
自分が生きていくために戦うこと、だと最初に教えてくれるために
あるのだと思う。

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話を前回までの記事に戻そう。

正直、もうちょっと上手くやればましな結果になったのではという気持ちもまったくないわけではない。
案外一番最初の面談で「ごめんなさい」でもなんでもいえば、それで終わっていたのかもしれない。

でも、

たとえば、あからさまに悪質クレーマーがいて
一人の人が責められ続けて困っているのに皆見て見ぬふり。
上の人に相談しても誰も助けようとしない。
あろうことか「そういう場合はお客様に従え」
「会社としては(責められている人がいても)助けることはできない」
「↑の理由で会社の方針に従ってほしい」

(※そう思うなら上の人、せめて電話くらい代わってやりなよ。
どのみち「会社の方針に従う」んでしょ?
でも絶対代わらないんだけど※)

それは違うだろ?と思った。
このときからすでに心は会社から離れ始めていた。

前にも書いたけれど仕事自体は嫌いじゃなかった。
親切にしてくれた人もいれば、
この人に何らかの成果を返したいと思う人もいた。

でも、道は決まってしまった。
ともあれ今後はもう振り返ることはせず
自分が納得できる道を探っていきたいと思う。

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