見出し画像

お金の役割を考えるのに役立つ「マルクスの資本論」

こんにちは、そんべんです。
皆さんは「マルクスの資本論」をご存じでしょうか?
なんとなく聞いたことはあるけど…
なんだか難しそうだな…
そんな風に感じる方もいるかもしれません。

しかし、実はそれほど複雑なものではないのです。
身近にある「お金」について今一度整理すれば、「そういうことか!」と簡単に理解できると思います。
今回は「マルクスの資本論」についてわかりやすく解説します。


資本主義は「交換社会」から始まった

そもそも、資本主義という制度のベースにあるのは「交換社会」です。
交換とは、物々交換による取引。
ニンジンとタマネギを交換するなど、物と物の等価交換が基本です。

ただ、物の交換だけでは勝手が悪い側面が徐々に出てきたことから、人間は「お金」という道具を作りました。
物々交換の媒体の役割を果たすお金ですが、順番としては物から始まります。
まずニンジンなどの物があって、それを渡す代わりにお金を得る。
次はそのお金を何に交換しようか考えて、タマネギを手にする。

つまり、物がお金になって、お金の次にまた物に変わるわけです。
「物→お金→物」という順番で交換されるのが交換経済の基礎であり、主役は「物」でした。

「お金を増やす」ことに着目した資本主義

しかし、マルクスはこの流れを見て資本主義の本質を見抜きました。
簡単に言えば、資本主義とは「従来の交換経済の順番を逆転させたものだ」と唱えたのです。
「物→お金→物」ではなく「お金→物→お金」という順番で取引を整理したのが資本主義だというのです。

「物→お金→物→お金…」と繰り返すのなら、物からスタートしても、お金からスタートしても同じでは?と考える方もいるかもしれません。
しかし、この2つには明確な違いがあります。
「物→お金→物」の場合は、お金は単なる仲介役です。
等価交換が基本であり「100円は100円、価値は増えない」という前提があります。

一方で「お金→物→お金」の場合は、例えば100円がニンジンに変わり、このニンジンを110円で売ると、得られるお金は110円に増えます。
つまり、等価交換が前提ではなく「お金を増やすことが前提になっている」という根本的な違いがあるんですね。
こうして、お金を増やすという視点でお金の動かし方を考えたのが資本主義です。
「マルクスの資本論」について、少しイメージしやすくなったでしょうか。

イスラム金融で金利を取ってはいけない理由

資本主義は「時間の経過に伴ってお金は増えるものである」という前提で考えます。
皆さんの身の回りにあるものでいえば、金利の概念がそれに当てはまります。

ところで、イスラム圏では「金利を取ってはいけない」という決まりがあるのをご存じですか。
金利については、イスラム教の聖典・コーランでも「アッラーは商売をお許しになったが、利息を取ることは禁じた」と書かれています。

イスラム教ではお金は交換の媒体であり、増やしてはいけないという考えが根底にあります。
なぜなら、物々交換や等価交換の思想が宗教として根強く残っているからです。

一方で、金利はお金を増やすという前提をもとにした考え方です。
貸した100円を返すときは110円になるという「金利や利息の概念」は、不等価交換としてイスラムの教義にそぐわない、そう考えられているのです。

ただし、イスラムの教義であっても、取引の仲介人が行った作業に対する報酬は、受け取ってもよいことになっています。
これは物々交換の一種であり、作業を提供することに対する報酬や対価は当然受け取るべきだというのがイスラム金融の特徴です。

資本主義ゆえに貧しい人が現れる

交換経済の主役は「物」だとお伝えしましたが、資本主義の主役は「お金」です。
「100円を200円や300円に増やすにはどうすべきか」と考えるのが資本主義であり、物々交換をベースにした経済ではありません。

物々交換の世界の考え方は、「交換によって足りないものを補い合い、みんなで豊かになろう」という発想ですから、本来であれば社会全体が豊かになるはずでした。
ところが、お金を主役にしてしまった資本主義では、物々交換と同じようにお金と物を交換していても、「交換を通じてお金を増やす」という考え方で動いています。

そのため、特定の人のもとに多くのお金が集まり、それ以外の人が持つお金の量は減ってしまいました。
資本主義社会は皆が豊かになれる社会である、と多くの人が考えていますが、結果だけを見れば真逆のことが起きており、貧富の差は開く一方です。そして、経済学ではこのことを、「資本主義の欠陥」と呼んでいます。

今こそ経済の仕組みを見直すとき

資本主義のロジックで考えると、あらゆる投資は投資額以上の見返りや価値を得たうえで回収しなければなりません。
もし誰かが開発したテクノロジーが、社会を救う救世主になれたとしても、「投資と回収」のロジックに縛られている以上、無条件にお金をかけることはできないし、お金を払ってくれる人にしか提供することはできないのです。

将来どれくらいの見返りを回収できるかという基準は、新しい技術の普及にとって大きな制約になるのではないでしょうか。
貧富の格差の問題はもちろんのこと、気候変動による自然災害の増加など、あらゆる人たちが協力しなければ解決できない課題が増えている現状で、これまでやってきた資本主義という経済のかたちは限界に直面していると改めて感じます。

【おかねの学校公式LINEはこちら】

QRコードをタップすると登録画面に遷移します。

【運営資金ご支援のお願い】
実はこの記事、なるべく多くの人に読んでいただきたいと思い、私が考えた内容を、ライターさんに仕上げていただいております。
その際に、報酬(1記事につき約1万円程度)をお支払いしておりますが、当方の予算にも限りがあるため、投稿のペースを上げることができません。
もしこのブログの内容を読んで、この活動に共感いただけるようでしたら、下の『気に入ったらサポート』を通じて、運営資金のご支援を頂けますと大変うれしく思います。宜しくお願い申し上げます。

この記事が参加している募集

#お金について考える

37,944件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?