白血病患者の学校事情

息子は幼稚園の年中さんから入院して、化学療法で治療していましたが、残念ながら再発してしまい骨髄移植をすることになりました。年中さんの9月から入院して、退院したのが小学3年生の時だったので、足掛け5年になります。

初めての学校は院内学級

小学校入学の時はちょうど退院している時で、でもすぐに治療のこともあるから入学式だけ地元の小学校に参加して、次の日から病院の院内学級に転校することになりました。

それから小学校3年生までは院内学級で、病室に先生が来てくれて治療の合間に勉強をするというスタイルでした。熱が出たり、抗がん剤治療でしんどい時はお休みにしてもらったり、勉強の途中で検査などに呼ばれると中断してくれたり。とりあえず治療を最優先で授業を進めてくれました。

その中で週に一度自立の時間というのがあって、勉強ではなく遊びの時間を作ってくれていました。なのでその時間は学校の他の先生も来てくれて同室の子どもさんと一緒にボードゲームをやったりトランプをしたり。他にもその時に息子たちの中で流行っていたもの(アイロンビーズやプラ板など)を作っては看護師さんやその時来てくれていた学生さんたちにお手紙と一緒に渡していました。

病気のこともあったので、息子に無理のないよう、それでもその年に終えなければならない範囲はきちんと終わらせてくれていました。マンツーマンだったので、分からないところは徹底的に聞いて分かってから先に進んでいました。なので息子は勉強が嫌になるということはなかったと思います。

音楽や美術や体育といったものは出来なかったので、国語、算数、生活の3教科を主に勉強していました。
最終的にはもともとの小学校に帰る前提だったので、院内学級の先生も向こうの学校に密に連絡を取ってくれて夏の自由研究や「蔵之介新聞」(病院であった出来事や写真を使って作っていました)を向こうの小学校に送ってもらったりしていました。

退院後、まずは訪問学級で

3年生の途中で退院が決まり、普通の小学校に戻るのは体力的に難しかったので、家に市立養護学校の先生に来て頂くことになりました。そこから音楽や美術、習字の時間も始まりました。
その時も院内学級と同じくマンツーマンで身体に無理がないようしんどい時は休んで、というスタイルでした。
先生が3人ぐらい日替わりで来てくれて、絵や習字を県展に出して頂いたり、楽しく授業を受けていました。

4年生に上がるタイミングで、院内学級の本校に移ることになりました。今まで1〜2時間の勉強時間だったのが、休み時間、給食を含めて5〜6時間学校に行くことになりました。

始業式をボイコット⁈

養護学校だったのでそんなに生徒数が多いわけでもなかったので、始業式の時に転校生は全校生徒の前に立って名前を呼ばれたらお辞儀をするみたいに言われていたと思います。でも同じぐらいの子どもさんがそんなにいる状況は今まで無かったので「注目されたくないし、絶対やりたくない!」と言っていて。事実、始業式の間ずっとトイレにこもって出て来ませんでした。

でもいざ学校が始まると、同級生や先輩、後輩たちもみんな何らかの病気を持っている子どもさんばかりで、そこまで乱暴な子どもさんもいなかったので、良い距離感で比較的穏やかに楽しそうに過ごしていました。

私も最初は心配していたものの、病気の子どもさんが通う前提なので普通の学校よりはいろんなことに丁寧に対処してくれます。なにより院内学級でお世話になっていた先生が、移動で養護学校に転任していて、さらにその先生が担任だと聞いていたので、そこは安心して学校に送り出すことが出来ました。

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