抗がん剤の副作用

付き添わなくていい?

久しぶりに入院したものの息子はもう大人になっていて、子どもの頃のように24時間つきっきりとかいうことはなくて。
いや、私は時間の許す限り病院に行って付き添いするつもりだったんですけどね。
でも息子に「いやー、お母さんも忙しいろうき、差し入れ持って来るだけでえいで。さくらが来てくれるならそれで全然えいし」って言われました。もちろん私が忙しい生活を送っているのを知っていたので、それを気遣ってのことだとは思いましたけど。

でも、子どもの頃に付き添いをした方なら分かると思うんですが、付き添ってあたりまえ、付き添わないといけない状況を経験したものとしては「え?それでいいの?」って思ってしまって…。すごく物足りない感じがしました。

6年生の時にも入院してましたけど、その時は私が県外の病院でてんかんの外科的手術をした直後だったし、娘が反抗期に入っていたのでそれどころじゃなくてあんまり付き添ってないです。でもありがたいことに骨髄再発ではなかったから抗がん剤治療だけで済んだので入院期間も3ヶ月ぐらいで終わりました。

でも今回は骨髄再発で、このあと骨髄移植を控えてるっていう状況だったから、私としては「ちゃんと毎日付き添わなくてはっ」っていう使命感がありました。
それを息子からそんなふうに言われてしまって…。なんだか肩透かしに合った気分でした。

子どもの時と違って高熱が続いても頭が痛くても、しんどくても吐き気が続いてても、文句も言わず、ただそれが去るのをじっと堪えて待っていました。私がそのたびに「大丈夫?しんどくない?」って聞いたけど「前にもこんなことあったやん」って笑いながら言って。
なので本当にあの時の入院はやることがなかったです。差し入れを作って持って行くだけ…。

副作用のいろいろ

抗がん剤治療の副作用っていろいろあるんですけど、よく言われるのが「髪の毛が抜ける」とか「吐き気が強い」「高熱が出る」「しんどい」ですよね。

一番最初の骨髄移植前の治療では、その副作用のオンパレードでした。点滴を入れたあと頭が痛くなってガーグル抱えてゲェゲェ吐いて…。何日か起き上がれないぐらいしんどくて。そのうち髪の毛がどんどん抜けていくし…。

髪が抜けるっていうのは、6年生の時も大人になっても多少はありましたけど、この頃のように指を入れるたびにざぁって指に絡まって大量に抜けていくっていうことはありませんでした。
吐き気もあったけど、この頃みたいにガーグルを抱えてずっと吐くということもなかったです。

6年生の時の抗がん剤治療の時はあんまり行けてないですけど、行った時は普通に起き上がってゲームしていました。その時の大きな副作用は「手足の痺れ」でしたね。「なんか指先、足の先がじんじんする」って言ってて。「じんじんって何よ」って聞くと「あのほら、正座をずっとしててなる感じ」って。
それも副作用だったので「もう一回抗がん剤治療をしたいんですけど、そのことによって一生痺れが残る可能性があるので、今回は諦めます」ってその時の主治医の先生は言っていました。

大人になっての大きな副作用は味覚障害でした。最初は塩味が苦味にしか感じられないって言ってたのが、だんだん味が分からなくなって来たって言って。
そうするとご飯の時間が苦痛になって来ます。
病院の給食には食べられないものが多かったので、少しでも食べられるように家から作って持って行きました。毎食は難しかったので、昼と夜、2食とか。昼は娘に持って行ってもらって夜は私が。でもそれもだんだん食べるのが難しくなっていきました。

験を担ぐ

いつの入院の時も抗がん剤治療の合間に一時退院することはありました。でも次の入院でまた抗がん剤治療があることが分かっていたので、入院前日にはだいたい息子の好きなものを食べに行っていました。ある時、おばあちゃんも一緒に行ったことがあって「明日から入院やのにわざわざご飯食べに行くが?」って言われて、息子が「明日から入院やきやろう。験担ぎよえ」とか言って。確かに。そうやって自分の気持ちを一生懸命保っていたんでしょうね。

岡山の病院にハプロ移植のため入院する時もそうでした。味覚障害もあって、味が分からなくなっていて、更に白血球の値も下がってふらふらな状態だったにも関わらず、車で岡山の街に入った途端「焼肉食べたい。どっか焼肉屋さん探して」って言ったので探して食べに行きました。「味が分からんのじゃないの?」って思いながら行ったんですけど「美味しい、美味しい」って言って、けっこうな量食べて…。美味しいものの味は分かるんですね、きっと。

口の中に口内炎が出来て食べられなくなった時もあります。口を開けるのもしんどいって言ってて。歯磨きを自分でするのも大変になって歯科衛生士さんが来てくれて手伝ってくれたり。

骨が弱くなって、更に動かないから筋力も落ちていたので週に3回ぐらいリハビリの方も来てくれていました。

研究が進んで来て

こんなふうに副作用と言ってもいろいろあって、そのことを知り合いの薬剤師さんに聞いたことがあります。すると「もちろん新しい薬も出てますけど前から使っている薬もすごく研究されて来てるから症状によってこの薬を使えばいいとか分かって来てて。蔵之介君の初発の頃は完治するためにとりあえず全部使っておけ、放射線も出来るだけ当てろって感じだったのが、今は病気と一緒に生きていこうみたいになってるから、使うお薬とか放射線の量とかもいろいろ変わって来てます」って言われました。

確かに。あの時、放射線治療をする時に先生から「人間の身体に当てられるだけ目一杯の量の放射線を当ててます。これ以上は当てられません」って言われました。でもその後のハプロや臍帯血の移植の時も当てましたけど…?

癌っていってもそれぞれで、みんないろんな症状があるから抗がん剤も絶対これじゃないとっていうのはすごく乱暴ですよね。

知り合いの看護師さんに言われたことがあります。今は白血病も治る病気になって来たよって。それもこれも、昔、白血病で亡くなった人がいて、その人たちのことが研究されて来たからだよって。息子の白血病の病歴もいろいろ研究されて将来の白血病患者の人たちのためになるんだと思うと少し救われるような気がします。

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