最初の入院

「息子は治療、私は…」

そうして治療が始まりました。医師の方から本人に病気のことや治療のことをかみ砕いて説明を受けるもののどこまで分かっていたのか定かではありませんが、とりあえず点滴を繋がれて昨日までの自由を奪われてしまったことだけは分かっていたようです。それでも大声で泣いたり暴れたり、点滴を無理矢理外そうとしたり、そういったことはしなかったので本人なりに重大なことが起こっているとは思っていたようです。

私はといえば、お薬の点滴が始まって抗がん剤の治療でよくある突然の吐き気や頭痛、全身のだるさなど、それらと闘っている息子をただただ見守るためだけに病院へ通う日々。取り乱したりはしなかったものの、どこか遠くで起こっていることのようにしか感じてなかったように思います。息子の病気のことを知り合いの方や幼稚園の先生などに説明すると、皆一様に「大変やねえ。気を落とさんと頑張りや。親がしっかりせんと」と泣いて言われたりしましたが、そこでもあまり病気に対する理解が無かった私には遠い出来事でしかありませんでした。

小児科への入院ということで、基本的に付き添いは必須、特に夜の泊まりは絶対だったので、そこは夫と1日交代ということになりました。昼間は朝から夕方まで付き添い、家に帰るのは2日に一度。それも抗がん剤でしんどい時は連泊となります。

そんな状況の中で時間はどんどん流れていきます。私が1人取り残された気持ちになっている間に息子は大変な状況を受け容れてさっさと治療を始めています。それを見ていつまでも嘆いてばかりはいられないと思ってやっと前に進めたと思います。

「非日常を日常に」

元気な子どもは家で寝起きをして学校に行って宿題をして友達と遊ぶといった日々の生活が、息子はその場所が病院なだけ。寝起きも病院で治療の合間に勉強をする、それが日々の生活。普通なら学校や友達との時間は関わらず、朝と晩だけ一緒に過ごすといったところを、日によれば24時間以上一緒に過ごすことになります。

初めのうちは手持ち無沙汰だったもののずっと付き添うことに変わりはないので、それならばいつも通り楽しく過ごしたいとどこかのタイミングで切り替えたと思います。一緒にゲームをしたりテレビを見たり、息子のベッドの上で本を読んだり昼寝をしたり。それまでは忙しすぎて出来なかったことを一緒に楽しむことが出来ました。

今思い返せば大変なこともあったけど、それよりも2人でずっと笑いながら過ごしていた記憶の方が多いです。

その頃に私の姉が「なんでそんなに笑っていられるの?」と息子に聞いたら「笑ってたら病気が逃げて行くかもしれんろう」と言ったそうです。
私にとってのあの頃は息子と向かい合って全力で遊んだ、楽しんだ大切な時間となりました。

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