白血病の発症、その時母は…2

入院後、息子は淡々と

入院後、息子はお医者さんから病気の説明をされ、治療というものを受けなければならない、そのために家には帰れず病院に泊まらないといけないらしい。幼稚園は休まないといけないからお友達とは遊べなくなった。よく分からないけど、痛い注射をされて、どこへ行くにも点滴を連れて行かないといけなくなった。いざ治療というのが始まると、看護師さんが来て点滴の所で何かすると、ものすごく頭が痛くなったり、気持ち悪くなってげえげえ吐いてしまったり。でもそれに対して文句を言ってもダメなんだっていうことをすぐに受け容れて、日々を淡々と過ごしていました。

私はその息子と変わってあげることも出来ずに、ただただ見守るためだけに病院に通っていました。時には何日も泊まり込んで。

今みたいにインターネットもそんなに普及してない頃だったので、病気のことは先生か看護師さんからしか聞くことが出来ません。それも当事者ではないので「こんな感じらしい」とか「痛いらしいよ」とかものすごくふわっとしたことしか分かりません。それはそうですよね。抗がん剤の辛さや骨髄注射の本当の痛みは体験した本人にしか分からないものなので。

夫は病気が分かってからすぐに白血病に関する本をいろいろ揃えて夫なりに調べていました。先生たちから説明がある時には鋭い質問を投げかけてみたり。

母は遊びに集中

私はそういったことはせずそれよりも息子と遊ぶことに集中していました。病院に行くたびに「今日は何して遊ぼうか」みたいなことを言いながら。…あまりにもことが大きすぎていろんなことを考えるのを放棄していたのかもしれません。

病院に行くと、しんどい時とか弱っている時はあるものの、とりあえず元気な息子がいるわけで、「お母さん、おはよう」と言ってくれます。どんなにしんどい時でも笑いながら。しんどいことをたくさんされても、それでも笑っている息子を見ていると私が落ち込んでいる場合ではないとどこかのタイミングで切り替えたと思います。

7歳の時、移植を手がけてくれた主治医の先生に「どんなに状態が悪くてしんどい時でも、朝、顔を見に行くとベッドに座ってにこにこしてて。あの笑顔に支えられました」と言われたことがあります。
息子は最初の入院の時から、小さいながらも病気を受け容れて、それと一緒に生きて行こうとしていました。

私は今まで自分が忙しくてそんなに関わることが出来なかった息子との距離を少しずつ縮めていきました。家でいる時と同じように、いやその時以上に、一緒にゲームをしたり、息子のベッドの上で本を読んだり昼寝をしたり。

看病をする上で一番大事なことは日常をいかに病院に持っていくか、そこで家にいる時と同じように笑って過ごすかということに限ると思います。だってそこが彼の日常になったわけですから。それが母親に出来る唯一のことだと思います。最終的になったものは仕方がないってことですよね。

息子が退院した後、知り合いの方に「大変やったね」とよく言われました。でも私は「いや、大変やったのは息子の方で、私はとなりで見てただけだから」って答えていました。

大変なことはもちろんあったと思います。でもそれよりも息子と2人で笑って過ごした記憶の方が多いです。

息子が大人になってからその頃のことを聞いたことがあります。あれで良かったのかと。すると息子に言われました。「何言いゆうが。あれで良かったに決まっちゅうやん」。その頃、私が明るく普通に接してくれたことに本当に助けられたと言ってくれました。

その時初めて救われたような気がしました。ああ、私がやって来たことは間違いじゃなかったんだと。

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