noteを始めたきっかけ(前編)
「白血病になったからこそ」
私がノートを始めようと思ったきっかけは、息子がYouTubeの配信をしていたことが大きいです。
本人は最初「病気のことを発信するとか、(同情を誘うみたいで)なんか卑怯な感じやん」と言っていたのですが、家族で話すうちに「白血病になったからこそ発信出来るものがあるかもしれん」と言い始めました。
配信を始めると、話す内容はしんどいとか辛いなど大変なことのはずなのに妙に明るい、でも実際治療が始まって本当にしんどい時は動画を出さない、というスタンスでした。夫も娘ももちろん私も「本当にしんどい時はしんどいって出した方がいいんじゃない?」って言ったのですが「そんなん出してる人いっぱいおるやん。おんなじことしても意味ない」と頑なに拒否されました。
確かに白血病なのにあんなに明るく発信している人はいませんでした。
息子は「白血病っていう病気があって、それによっていろいろ行動制限はされるけど普通に楽しく暮らしてるよ」っていうのを知ってもらいたかったのだと思います。
学校に行くと体育が出来ないとか、人と一緒にっていうのが体力的に難しいとか制限はありましたが、その中で家族や友達と楽しく過ごしていました。
治療にしてもしんどいけど、我慢してたらなんとかなったみたいな感じです。お世話になった看護師さんに「しんどい時でも上手にそれと付き合ったよね。しんどい〜って暴れる訳でもなく、ただじっとそれが過ぎ去るのを待って」って言われました。本当にそうで、高熱が続いたとか下痢が止まらないとかいろいろありましたけどそれを受け入れて淡々と過ごしていました。
「根拠のない自信」
息子はYouTubeで見て頂いたことのある方なら知っていると思うのですが、いろんな治療や副作用のことをものすごく明るくポジティブにとらえて発信していました。
そのことを亡くなった後で、知り合いの方に「なんであんなに明るく前向きに話すことが出来たんだろうね?」ってよく言われました。
考えるうちにそういえば私は息子がダメになるとか1ミリも考えたこともなかったなと思い当たりました。
最初の移植が終わった後も長い間、皮膚の状態が悪く水疱が出来て、すぐにつぶれてずる剥けになるとか下痢がずっと止まらないとか、出血性膀胱炎になって血のおしっこがずっと出るとか、先の方で固まってしまっておしっこが出なくなるとか。いろいろありましたが「絶対大丈夫!」と常に思っていました。
その頃お世話になった看護師さんには「お母さんの根拠のない自信に絶対助けられたよね」って言ってもらえました。
その時の息子はいろんな症状で苦しんではいましたが、そこで私の出来ることといえば息子と一緒に遊ぶこと、楽しむこと、笑うことだけでした。「しんどい?苦しい?大丈夫?」って言われて横で辛そうな顔をしていてもその症状が和らぐ訳ではないし、もしかしたら気持ち的にもっとしんどくなるかもしれないし。
よく言われることですけど、子どもって親が辛そうな顔、悲しそうな顔をしてるのを見ると「僕(私)のせいだ」って思ってしまうみたいなので。
だからという訳ではないですけど、私は息子が入院中、退院してからも、再発の時でさえ「ダメかもしれん。治らんかも」とか思ったことはありませんでした。本当になんの根拠もありませんでしたけど。
知り合いの方にその話をすると「お母さんが心の中でずっとそう思って来たのが一緒にいて伝わってたんじゃないかな」って言われました。確かに口に出して言ったことはなかったですが、そういうのは伝わっていたのかなとは思います。でもそれってすごく大事で、親って子どもの中ではある意味絶対的な存在じゃないですか。周りの先生や看護師さんからいくら「ダメになるかも(小児科なのでそこまではっきりは言いませんでしたけど)」とか「このお薬が効かなかったら」とか言われても「お母さんが大丈夫っていうなら大丈夫やろ」と思えると思うんですよね。それよりも今、ここで、しんどいけど一緒に遊べる、笑えるっていうのがすごく大事なんです。
今思い返せばしんどいことは確かにあったと思います。でもそれよりも楽しかった思い出、一緒に笑った思い出の方が多いような気がします。
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