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2024/5/11

昨日の日記に書いたこの一文を訂正したい。

「僕はどう生きているのか。どんな目をしているのか。その答えは分からない。ただ、ひとつ言えるのは、僕は自分を大切にできていない、ということだけだった。」

違う、僕は間違いなく命を「延ばしている」側の目をしている。それは自分のせいでもあるし半分は時代のせいだ。昔と比べると圧倒的に増えた生の時間、選択肢、圧倒的に上がった安全度。こんな時代に生きていて、リアルに死を隣に感じていくことは少なくとも僕にはできない。だから延びてしまうのは仕方ない。

違う、そうじゃないんだ、言いたいことは。僕は僕自身と闘っていない。そんなことは千も承知だ。

違う、伝えたいことは、言葉にしたいことはそんなんじゃない。言語能力のなさに嫌気がさす、違うな、自分との闘いから逃げただけなのに言語能力という言葉に甘えているだけだ。

僕は全く生きていない!!!


今日接客したお客さんがとても喜んでくれた。料理が美味しかった、スタッフのサービスがとてもよかった。実は今日銀婚式なの。25周年本当に色々あったけど今日こんなにも素敵なところに呼ばれて本当に幸せだわ。

毎料理を出すたびに僕に感動を表現してくれる、本当に嬉しかった。

会話の中で銀婚式という言葉が出たので上司に頼んでデザートプレートを用意してもらった。僕に提供させてくれた。そのご婦人は涙を流していた。

次は家族5人で来ます、その予約をするときにはりぷるさんがいらっしゃるか確認しますね。とてもありがたかった。

最後玄関を出てお見送りした。見えなくなるまで度々振り返り頭を下げてを振ってくれた。僕はどうしようか迷ったが最後の最後で手を振り返した。

本当に嬉しかった。ただ、僕の心は乾いていた。違う、これじゃない。もちろん嬉しい、だが、その嬉しさを生んだのは僕じゃない。

飢えていた、欲していた、僕自身の力で何かを生み出したい。いや、そうなのか?それもある。だが、もっと単純なことだ。僕の心が僕の中にない、だから、響かない、沁みていかない、人の喜び、感謝、涙が。

今の僕は抜け殻だ。



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