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藤間家の呪い

藤間家にはデブの呪いというものがある。生まれてくる子供がデブになってしまうという厄介な呪いだ。実際、私の母や、母の妹は小さい頃からふくよかで、年頃になってからダイエットをしてなんとか痩せることができた。そしていづれ離婚することになる伴侶との間にできた子供もかなり恰幅がよく「でかい」子供だった。(母も伯母も離婚してシングルマザーである)
祖母は「これは呪いだ」とよく言っていた。(離婚のことではない、と思う)

特に私の兄は高校2年生までかなり太っていた。兄は小さい頃から食べることが大好きで、常に腹12分目までの食事をしていたと思う。気付けば体重は100キロを超えていた。しかし兄は見た目とは裏腹にスポーツが好きだった。一言で言えば、「動けるデブ」だったのだ。
水泳やサッカー、剣道など様々なスポーツを習っており、中でも水泳は得意だったようで周りからは「シャチ」の愛称で評判だった。シャチは知能が高い肉食性で海の王者と呼ばれているのだが、まさに兄が泳ぐ姿は迫力満点で周りの生徒も距離を置いて泳ぎの練習をしていた。(水しぶきがすごいからである。)
だが、サッカーはどうしても瞬発力やスピードが重要なためいつもゴールキーパーだった。ただ、ゴール前に巨漢な男がいると敵は怯む。動かずとも手を伸ばせばボールなんて簡単に止めてしまうような見た目だからだ。しかし、それは風貌だけ。実際は先にも言ったとおり瞬発力が必要なサッカーでは兄の体の重さは仇となりガンガンにゴールを決められてしまう。ゴールを決めれかった選手は「惜しい!」「頑張った!」と声援が送られるが、守れなかったキーパーには「あぁー」という感嘆が集まり大きい兄が少し小さく見えた。
特に体が大きく太っている子はいじられやすく、それはいつの間にか「いじめ」に発展し、善悪の分別をちゃんとつけれていない十代の子たちはチクチク言葉を浴びせ心のノートをビリビリに破くような、そんなことをしてしまう。兄も何冊もの心のノートを破かれ、そのたびに母は泣きながら修復した。修復にはかなり時間を要し、完璧に治ることはできなかったと思う。

兄へのいじめがあったからか母は私に呪いがかかってないか常に心配していた。さらに小さい頃の私はかなりの偏食で、お菓子ばかり食べておりご飯はあまり好きではなかった。そのため親族一同太らないかとても心配していたが、私に呪いはかからなかった。父の体質を受け継いだのか、大好きなポテトチップスもチョコも沢山食べていたが「デブ」になることはなかった。その私の姿を見て、祖母も母も私の服のサイズがあることに歓喜した。兄には日本サイズの服は小さすぎてほとんど入らなかったため、どこから買ったか分からないようなアメリカンっぽいXLのTシャツをよく着ており、Tシャツにはよく分からない英字が書かれていた。だが、私は店舗にあるサイズで問題ないため、それが嬉しかったようで沢山の服を買ってくれた。感謝である。おかげで私は服やバッグ、靴が好きな金のかかる女になってしまったが、幼少期のファッションショー(似合う服が沢山あり、あれもこれも試着するためそう呼んでいる)体験で自分には何が似合うのかわかっている、気がする。
藤間家の呪いである「デブの呪い」は私にはかからず誰もがホッとした時、私は「肌荒れの呪い」にかかった。最初は思春期のニキビが1つ、2つ、ポツポツと出来た。その後、全体的に出来始め頬は常に赤みを帯びていた。それをメイクで隠すため余計荒れ、皮膚科だけでなく美容外科も試したが効果はなかった。私は「肌荒れの呪い」にかかってしまった。肌荒れを男の子にからかわれたこともあったが、気が強かったためデリカシーのない男には殴りかかっていた。それ以来何も言ってこなくなった。

太っていた兄は高校2年生の時にダイエットをはじめ、どんどん痩せていき体重は70キロまでになった。身長は176センチほどなので誰が見ても普通の体型をした男性だった。私は兄の顔が意外と整っていることを初めて知った。
ダイエットをはじめたのは好きな子が出来たからだと思っていたが、そうではなく仲良くなった友達と一緒に買い物がしたいからといった理由だった。体型のせいでいじめにあっていたため、高校入学後もなかなか友達ができなかった兄だがその友達は見た目については一言も触れず、普通に接してくれたという。普通が何なのかは分からないが、兄はそれが嬉しかったのだろう。その友達に和太鼓部に誘われ入部して仲間ができ、その人たちと洋服を見に行きたいというシンプルな理由は30キロへの減量へと導いた。現在、兄は30歳近いが高校の頃の友達とは今でもよく遊んでいる。
大人になった私もニキビはないものの肌は綺麗ではない。だが私のパートナーは全く気にしていないし「可愛い」「きれい」といったキラキラした言葉を沢山くれる。
藤間家にかかった呪いは、たとえ呪いがかかっていても側にいてくれるような心が綺麗な人を掬ってくれる審美眼的な役割を果たしてくれたのかもしれない。

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