見出し画像

アメリカの笑い、日本の笑い。巨人には街の壁ではなくその壁をぶち壊してほしいものである。

🎙️「どうも~。お笑い好きのCACAです。そしてこちらが……」  
🎙️「…………」
🎙️「なんで黙ってるねん!……って、よく考えたら私、一人でしたわ!相方おりませんでしたわ!」 
🎙️「…………」 
🎙️「でな、最近、海外の人に日本の笑い広めたい思てんねん。笑い好きなら一度は思うよな?」 
🎙️「…………」
🎙️「いや、反応せい!……って私、一人でしたわ!」

てことで、お笑い好きなら一度は思っていそうな、「海外の人に日本の笑いを伝えたい」ということについて今回は考えてみたいと思います。  

実は、卒論でもそれをテーマに認知言語学的視点からアプローチしていたのですが、結論から言うと、日本の漫才を海外に伝えるには相当工夫が必要だと考えられます。 

というのも、認知言語学の基本的な考え方が示すように、英語話者と日本語話者はものの捉え方が全く違っているからです。
※海外の方は他の言語話者も大勢いますが、便宜上、英語母語話者に絞ります。

では、どのように違うかというと、日本語話者は「状況の中から物事を見る」のに対して、英語母語話者は「鳥瞰図的に物事を見る」という違いがあります。日本語で「ーはある?」というとき、英語では"Do you haveー?"と言いますが、それも捉え方の違いを反映しているからなんです。(状況の中から物事を見ていると、物事が目に飛び込んでくるわけですから、それをそのまま存在文(あるなし)で表せます。一方、鳥瞰図的に見ると、「誰が何をどこで」ということも情報化されますのでhaveという他動詞を使います。) 

これを「お笑い」に当てはめますと、状況の中から物事を見る日本語は、ボケとツッコミのやり取りをそのままダイレクトに受けとるスタイルがめちゃくちゃしっくりくるんです。つまり、ボケとツッコミの会話の場に観客も(聞き手として)招待されることで、やり取りを「状態の情報」として処理できるのです。

一方、英語での「笑い」のスタンダードは「スタンダップコメディー」です。スタンダップコメディーとは、コメディアンがマイクの前に立って、国民のステレオタイプや政治を皮肉ったり誇張したりするジョークで、たいてい一人で行われます。アメリカのコメディードラマとか思い出してもらったらいいんですが、あれってツッコミはいないですよね。観客が皮肉やおかしさを感じ取って笑うわけです。このスタイルは、見えない(情報化されていない)部分も認知処理に必要になるので、鳥瞰図的に全体の構図を見る英語に合致しているわけです。 

ちょっと説明不足なところもありますが、そう考えると、日本語の笑いと英語の笑いは物事の捉え方の違いを反映していることになります。

お笑いタレント、チャド・マレーンさんは、『世にも奇妙なニッポンのお笑い』という著作にて、日本の笑いはツッコミがいるからいろんな方向にボケを広げることができるのに対し、英語の笑いは皮肉やウィットの効いたジョークになりがちだ、と分析されています。私もおっしゃる通りかな、と感じます。

しかし、それはただ単にスタイルの違いではなく、認知処理の違いから来る違いなので、なかなか簡単にその壁はなくならなそうです。

実は、認知モードの観点からいうと、日本人はツッコミなしの笑いも受け入れるのが可能ですが(実際そんな笑いもある)、問題は日本の漫才(ツッコミあり)→英語訳にあります。日本に住んでいたり、日本語的な考え方に慣れ親しんだ方々(日本リアクション動画の方など)は別として、英語母語圏に住む英語話者はたいていツッコミに違和感を感じるそうです。(私のアメリカやルーマニアの知人へのアンケートから。)
それも、認知モードが関わってくるからで、言語の壁とお笑いの壁はほぼイコールで結ばれる関係にあるわけです。

海外の人に日本の笑いを伝えたいのだとしても、認知の違いを考慮にいれて、より深く分析する必要がありそうです。



日英の笑いの違いがもっと知りたい、or 実際の芸人さんの反応を知りたい方へ

チャド・マレーンさんの『世にも奇妙なニッポンのお笑い』(NHK出版)がおすすめです!

 
備考
チャド・マレーンさんとは:
オーストラリア出身の日本のお笑いタレント。お笑いはもちろん映画字幕でもご活躍中。(『世にも奇妙なニッポンのお笑い』より)

※日本のお笑いが海外に全く通用しないという主張では決してありません。しかし、「認知の違い」は考慮すべきだよね、そしたらもっと日本のお笑いが海外に伝わるよね、という主張です!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?