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noteのコメントが楽しすぎる件そしてスベったときのいたたまれなさ、克服法について

言語学もワンちゃんも一旦置いておいて、今回は素直に思ったことを綴ります。

?「それって、ただのあなたの感想ですよね?」

CACA「はい!私の!ただの!感想です!」

「あなたの感想ですよね」の産みの親すらも驚くぐらい真っ直ぐに、ただの感想を言います。

noteのコメント欄て楽しい!!」と。

コメントって、ある意味一種のコミュニケーションツールなんです!ある素晴らしい記事を呼んで充足感を得た後、そんな素晴らしい作品の産みの親と言葉を交わせるって、めちゃくちゃ幸せなことじゃないですか?例えやり取りはなくとも、作品への思いが伝わるだけでも素敵なことだなあと思いました。🤭

コロナで人と人とのつながりが薄れる今だからこそ、コメントって素晴らしいコミュニケーションツールだなぁて改めて思います。(思いやりの心は不可欠ですが。)

私がコメントするであろう皆さん、私のコメントは基本的に長いです🤣お許しください~  

  

それから、『スベリが辛い』という件なんですが、なぜこの2つを一緒にまとめたのかは私もよく分かりません。おそらく、私にとって『スベリ』をまるごとテーマに扱うには、スベリというものは耐え難いものだったから…………………………ですか?(知らんがなてツッコミありがとうございます)

とにかく、誰かを笑わせようとすると必ずぶち当たる壁が『スベリ』だと思います。自分の考えるツボが100%正しいことはあり得ないので、スベるのはある意味必然なことだとは分かっています。100%ウケるなんて、それこそ贅沢な話かもしれません。そもそも、笑わなかった人も、相手がスベったことをそれほど深刻に捉えているとは限りません。

それでもいざスベると急に羞恥心が芽生えてくるのです。いや、そもそも笑いをやる時点で、羞恥心とはオサラバしたはずじゃないか…それなのに人はいざスベると恥ずかしさを感じる。そう、羞恥心なんてものは端から立ち去っていなかったのだ。去ったのは一時の恐怖心と理性だったのだ。まるで麻酔を打たれたかのように一時的に羞恥心を忘れた人間は、スベリと同時に麻酔が切れてしまう。そして一気にスランプに入り込むのだ。なんて矛盾した生物だろうか、人間というのはー。

はっ!!!!板倉さんと森見登美彦さんが好きすぎて、ちょっとおかしくなっていました。すみません。

とにかく、スベリというのは、辛いんですよ😢

だから、私は対策を考えました。それこそ、スベリをキャラ化するというー。

大学時代のある日、私はそれはそれは盛大にスベるという事故を起こしました。固まる空気に気まずげな先生の顔。いっそのこと『先生、退学します!』で落ちをつけようか、いや、マジに取られたらどうしよう、退学理由ギャグスベリとか不名誉なんですけどぉぉ!とグルグル考え出したときでした。友達がクスリと笑ったのです。

なぜ、スベったのに笑うのかー。不思議に思う私に、友達は衝撃の理由を述べました。

『CACAって、スベったときが一番おもしろいよね~』

とー。

それからはもう、スベリ自体が笑いに繋がりました。万々歳ですよ。ウケてもスベっても笑ってもらえるんですから。

おそらく、最初にスベったときに、『あ、滑っちゃった、テヘッ』と軽く流せていたら、そうはならなかったでしょう。滑ったああああいやだああああと喚く姿に、友達はいじりがいがあるやつ、と思ってくれたんだと思います。

スベリ頻度が高めの人は、スベらない方法を考えるより、いかに自身のスベリを笑ってもらうかを考えた方がいいかもしれません。もちろん、ウケを諦めるということではありません。だいたいそういうときはスランプに陥ってるので、抜け出せるまでその逆転の発想を楽しむのです。

そうすれば、一番笑わせたい身近な人々には、届くはずです🤭

⚠️あくまで、趣味で笑わせる側の話です。

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