心象風景 奈良 夏 大文字

八月十五日
灼けるような陽射しが和らぎ
芝生から立ち上がる陽炎が息を潜める。
飛火野に点在する木立の影が伸び、子鹿の親を呼ぶ鳴き声が聞こえる。
今年も大一文字の団扇を目指して、三々五々つ集まる人達で伸びる列に、あなたに見せたかった浴衣を着て並ぶ。
協資金と引き換えにあなたの分も受け取る。
パイプ椅子が並んだところを避け家族連れやカップルの中に一人佇みその時を待つ。
午後八時、ぱーん、打ち上げられた花火の音を合図に、百八ある火床に火が点けられ、高円山の中腹に大の字が浮かび上がる。
時を同じくして始まった音楽隊の演奏が、今年は遠くに聞こえる。
去年までの事が走馬灯のように脳裏を巡る。
一人なんだ・・・。
いつも一緒にいてくれたあの人はもういないんだ。
寂しさと悲しみにうずくまりそうになる。
その時だった。
不意に左の肩に温もりを感じ、手を握られたような気がした。
手を握り返し首を捻って見上げる。
手は握りしめただけで、見上げた先には何も無かった。

私を置いて行けないと思ったのか、まだ、あなたはここに居てくれてる。
強くならなければ、
あなたに心配をかけないように、心残りがないように
もっと強くならなければ。
大の字の送り火が一つづつ消えていく。

八月十五日、今年は高校生になった子供と送り火に行く。
息子は、日に日にあの人に似てきて、今では生き写しだった。
今年は本当に暑い日が続く。
今日も暑さ指数は警戒レベルで危険となっていた。
にも関わらず無謀にも会場になる飛日野まで歩いて行った。
途中息子は、噴き出す汗を拭い、肩で息をする私を心配してるのか
「大丈夫?やっぱり車で来た方が良かったんと違う?」
「大丈夫や、これくらい。そう言うあんたも凄い汗やで。」
「俺は大丈夫や。なんちゅうても若いからな。」
「せやけど、油断は禁物やで。」
「おかんこそ、気ぃつけんと。高齢者は暑さに鈍感になってる言うからな。」
「年寄り扱いせんといてんか。そんなに歳、離れてへんやろ。」
「よう言うわ。十七も離れてたら十分やで。」
三条通りの登り坂を、途中休憩を何度も挟みながら飛日野を目指して上がって行く。
猿沢の池を横目に見て一際急な坂を上がる。
目に前に朱色の大きな鳥居が見えてくる。
「一の鳥居や、もうちょっとやで。」
一方先を行く息子が振り返って言った。
「やっと、来た。」
鳥居前の交差点が赤信号なので、ふう、と一息つく。
歩行者の信号が青に変わったので、交差点を渡り見上げるほど高くて大きな鳥居をくぐる。
いつもここから彼が手をつないでくれたのを思い出す。
「なぁ、手ぇつないでもええか?」
「なんや急に。気持ち悪いな。」
「な、ええやろ?」
「かまわへんけど、あんまりくっつかんといてや。ただでさえ暑いんやから。」
「えーっ?ええやん。」
「頼むからくっつかんといてくれ。」
「分かった、くっつかへんから、あんたからつないできて。」
「もう、きしょいな。」
「つないでくれへんかったら、くっつくで。」
「分かった分かった。」
そう言うと息子から手をつないでくれた。
あぁ、この感じ。
あの日、飛日野で感じた感触。

彼と肩を並べて歩いた春日大社の参道を、今息子と歩いている。
お互いの汗で濡れ、つないだ手が滑って外れそうになる。
思わず息子の手を握りしめる。
「痛っ、痛いなぁ。なんや急に。」
「ごめん、ちょっとな。痛かった?」
「ほんま、年寄りのくせに力は強いんやから。」
木々の向こうにテントや並べられたパイプ椅子が見えてくる。
「今年も貰うんやろ?団扇。」
「当たり前や。」
「毎年毎年、よう飽きひんなぁ。家に四十枚近くあるで。」
「今年はあんたも貰てくれる?お金はうちが出すさかいに。」
「かまわへんよ、俺が出したるわ。」
「そうか、おおきに。」
「これや、ちょっとは遠慮せぇへんかなぁ、普通。」
参道から飛日野に入り、団扇の行列に並ぶ。
二列に並ぶので、必然的にお互いの距離が近くなる。
彼が亡くなってからは、ずっと一人で二枚団扇を貰っていたけど、今年は息子と一枚づつ貰える。
彼と二人で並んだ日々が蘇る。
「何笑てるん、気持ち悪いなぁ。勘違いされるやろ。」
「何に?」
「歳の離れたカップルに。」
「そうか?」
と言ってわざと息子にくっつく。
「せやから止めろって。おかん、自覚無いかも知れへんけど、若作りで結構美人なんやから、洒落にならへんねん。学校の連中に見られたらやばいやん。」
「ちょっと、若作りだけは余計やわ。」
団扇を一枚づつ貰って、パイプ椅子を避けあの時のように肩を並べてカップルや家族連れの中にたたずむ。
私も息子も一言も喋らずに時が過ぎて行くのを待つ。

陽が傾き、木の影が芝生に伸びる。
お世辞にも涼しいとは言えない風が頬をかすめる。
観客のざわめきが遠くなる。
ぱーん、と花火が打ち上がる。
隣で息子の体がぶるっと震える。
ざわめきが無くなり、感じるのはつないだ手からくる鼓動のみ。
百八の火床に火が点けられ、高円山の中腹に大の字が浮かび上がる。
「なんか、きれいと言うより荘厳やな。あの火の一つ一つが煩悩なんやろ。煩悩と英霊の御霊と一緒におやじも戻って行くんやなぁ。」
私は驚きのあまり、横に立つ息子を見上げた。
「おやじ、安心してくれ。おかんは俺が守るからな。」
あの日の彼に生き写しの息子の顔が涙で滲む。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?