【休職教員】学校に行けなくなった日

GW明け、ついに限界がきてしまった。
週の中頃だったと思う。
その前の日も仕事が全然終わらず、授業も考えられず、0時頃まで働かない頭を働かせ、限界が来たので寝てしまった。
そして、朝5時からその日の授業を考えていた。

家を車で出ると、運転中に涙がこぼれた。
最近よくある、と思って運転していると、次はお腹が痛くなってきた。
無理して運転すると危ないので、5分だけ休もうと路肩に車を停めた。

学校に着いたらこれをしないといけない、その次はこれで、そして1日の流れは…という考えが出てきたり、教室に上がっても挨拶も返ってこないし、うざい・来るなと言われるし、今日も耐えるのは辛いな…という思いが出てきたりしていた。

そのうちに頭の中がぐるぐるしてきて、どうしたら良いのかわからなくなる。時計を見ると始業時刻が近づき焦る。このままでは間に合わないから早く行かないと、と思うも心も体も動かない。これまでは「限界なら休職すればいいや」なんて思っていたけど、そもそも今どうしていいかわからない。動悸もして、座っていても少し体と感覚が離れているような感覚があった。胸や胃が締めつけられるような感覚もあった。いろいろ原因はあるけれど、核となる原因は何なのか、自分でもよくわからなかった。

10分くらいそのままいたが、もう限界だと感じて職場に電話した。
他の先生方への申し訳なさと自分の情けなさと辛さで号泣してしまいつつも、なんとか休みたい旨を伝えた。
「休む」と言えたら楽になるかと思いきや、全然楽にはならなかった。胸の重たい感じはその後も残り続けていた。とにかくその日は帰り、家で休むことにした。

次の日も休みをいただき精神科を受診した。
そして”適応障害”の診断と休職指示を受け、1か月あまり休むこととなった。

休むことに関してもすごく迷いがあった。
正直、今担任しているクラスについては未練はないけれど、サポートしてくれている周りの職員への申し訳なさが大きかった。
また長期間休んでしまうと、今後自分が教師として戻れなくなるのではないかという不安がすごく強かった。

そして、休んでしまった罪悪感もすごく強かった。自分を責めた。
自分は本当に限界だったのか? 
あとちょっと踏ん張れていたら出勤できていたのではないか? 
路肩に車を寄せ停まったけれど、あそこで運転を続けていたら出勤できていたのではないか? 
…と路肩に停めて動けなくなった瞬間に対しての後悔が出てくることも多かった。

また、休職してから1週間くらいは何をするにも億劫で、寝るか食べるかトイレか、くらいしかしていなかったが、2週間経った頃からは学校のことを考えなければ少し外出することもできるようになったし、睡眠も8時間程度取れるようになっていた。

回復したのはいいんだけれど、ネットで「教員 休職」で調べると、外出まで3ヶ月かかったとか、1ヶ月はひたすら寝ていた、などの体験談を見た。それに比べたら、こんなに早く回復するなら、自分は適応障害ではないのでは?なんて考えてしまうこともあった。

心がしんどい時に人と比べるといいことはないのだが、どうしてもそうしてしまったなぁと今振り返って思った。

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