【休職教員】休職までの出来事①

4月、4校目の学校に異動した。
久々の学校で、活気のある雰囲気を感じて嬉しかったし、なんだか懐かしい思いでいた。おれがやってやるぞ!と息巻いていた部分もあったと思う。

担当は、学校で一番大変だと言われている学年の担任だった。

教員あるあるだと思うけれど、4月の最初の週はとにかく会議がある。
学校目標や研修計画から、掃除・給食・各教科・特別活動など、とにかくその学校の根幹にかかわるありとあらゆるルールが数日間の会議で承認(?)されていく。
来たばっかりの人は全然ついていけないし、去年からいる人は同じことを言われて「はいはい」って感じだから、形が変わればいいなぁと思うことの1つなんだけれど。

その会議で、自分の学年の話がたっくさん出ていた。
掃除では、掃除用具を振り回す子や運動場で走り回る子がいること。
給食では、エプロンなど服装がとにかく乱れていること。
休み時間のチャイムが終わっても、全然教室に戻ろうとしないこと。
いろんな先生から提案される”去年こんなことあった”という課題が、ほとんど自分の学年であったことに驚くとともに、心が重くなっていった。

また研修やいろんな先生の話を聞く中で、怒鳴って指導するようなことは良くないし、子供を褒めて伸ばそう、といったことが共通していた。
昔、命にかかわらないことでも怒鳴って厳しくしていた自分への反省もあったし、厳しい学級はある程度落ち着くけれども、本当に子ども同士の繋がりを作るにはそれではいけないと感じていた所だったのですごく納得した。
今年は、子どもたちの話を聞いて、受け止めて指導していこうと思った。

そして、子どもたちとの1週目が始まった。

始業式では、遠くからでも自分のもつ学年がわかった。
明らかに並べていない。背の順はばらばらだし、明らかに話を聞いてない子もいる。前で校長が話しているにも関わらず、友達同士数人で固まって喋っている子たちもいた。

学級指導では、返事は適当にするし、頑張っている子をバカにするような笑いが起きてしまった。入学式に向けての全校生の掃除では、ほうきを振り回す、片付ける予定で置いてあったダンボールを蹴とばす、友達と数人廊下に座って何もしないといった様子だった。

そこで、しっかり注意できなかったのがいけなかったと今では思う。
初日は子どもたちに「この先生と、1年間楽しく過ごせそう」という期待を持たせたいので、基本厳しい注意はしない。名前を呼んでたくさん褒めて、明るい1年間の展望をもってほしいと思っていた。そしてこれまでの経験則で、どんな子も最初の1週間は基本やる気で前向きだと思っていた。
しかし、これまで会ったことのない、見たことのない子どもたちの様子に驚いてしまい、体がすくんでしまった。その時はそこまで感じられなかったが、子どもたちを怖いと思ってしまったのだと思う。
また、こういう子たちは先生を見る目、人を見る目はとても鋭い。子どもたちは、「この先生なら何やってもいける」と思ってしまったのだと思う。もしかしたら、先生が叱って反抗しつつ、仲を深めていくところもあるのかもしれなかった。

そんなスタートだったので、後は悲惨だった。

自己紹介をしようとすると、「やるわけないじゃん」と言い、促しても立とうとしない。
自己紹介カードの一言には、「うざい」「早く1年間が終わってほしい」「とにかく1年間耐えよう」「しんどい」という言葉が並ぶ。
外であった集会では地面の砂を投げ合い、友達と話しだす。
授業で学習活動をしようとする度に、数人が「いやだ。」「めんどくさい。」「どうでもいいじゃん。」と口々に言う。
注意をすると、「来たばかりの先生の言うことなんか聞きませーん。」といった感じだった。

今こうして振り返ると、子どもたちなりに私に興味があったんだろうし、来たばかりの先生が担任になって不安だったのだと思う。本当に嫌いだったり興味がなかったりするなら、何もアクションを起こさないだろうから。言われたことを笑いに変えたり、信念をもって無視したり、自分の思いをもっと語ったりして、”負けない””ぶれない”先生でいるべきだったと思う。

でも情けないことに、私には余裕がなかった。なんとしてでも担任を持ち切るという、強い思いもなかった。
3年間のブランク、いろいろ変わっていてよくわからなかった学校のシステム、久々の学校での授業で準備にものすごく時間がかかった。
授業を考えていても、「これではあの子たちに伝わらない。」「他の活動はないか。」と考えるも決められず、いろんな方法をインターネットや本で調べるうちに時間が経ち、睡眠時間が減って頭が働かずと悪循環に陥ってしまっていた。

この仕事は土日がだいたい休みなので、よく金曜日の昼くらいから気持ちがうきうきし始めて休みを迎え、日曜日の昼くらいから気持ちが沈む、というのは先生方に共感してもらえるんじゃないかと思う。
でもこの時、5月に休職してしまうまでは、土日は土曜日の朝から気持ちが重かった。涙が出た。1時間経つたびに「月曜日の出勤が近づいてきている」と気持ちが沈み、胃が重くなっていた。家にいても休まらず、ずっと動悸がしているような状態。寝ている時だけは唯一何も考えなくてよかったので、ずっと寝ていた。

続きます。


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