見出し画像

有意注意で自身を発揮し、楽しい生き方に変えていく。

 およそ完全な人生に活きて行くには、真我の生命要具である心的機関を常に適宜(てきぎ:その時その場にぐあいよく適するように行うさま。適当)に操縦するべく意志の力の発現を現実にしなければ、到底所期(しょき:心の中でそうなるように期待すること)の目的を達成する事が出来ない。

ならば、どんな訓練をその心に施すべきかというに、それには先ず注意という事に関する正しい理解を必要とする。

そもそも注意というものには、

一、無意注意
一、有意注意

という二つの区別がある。

第一の無意注意とは、敢えて特に意識を用いて注意を振り向けようとしないでも、自然的に注意の注がれる心的状態の事。他動的の注意の事を言うのである。判りやすく言えば無心の状態で道路を歩いている際などに、突然横合いから急激に何か珍奇な服装でもしている者が飛び出したとする。


すると誰でも咄嗟に飛び出したものに注意を振り向けるものである。この注意状態を無意注意という。

第二の有意注意というのはこれと全く反対なので、即ち特に意識を用いて自己の特定した事物に向かって注意を振り向けるという、言い換えると能動的の注意状態をいうのである。

無意注意の方はどんな人でも、否人間以外の他の動物といえども特に練習する必要なく、本能的に為し得るいわば本来的の注意であるので、これは殊更訓練の必要はない。

訓練を現実に必要とするのは、有意注意である。

どうする事が最も適当な訓練法かというに「何事を行う際にも決して氣なしに行わぬ事を心がける」のである。

言い換えると諸事万事氣を込めて行うこと、即ち万事すべてを真剣な気分で行うこと。


そしてこれを的確に具体化するには、毎日実生活を行う際、時間と仕事を特定して「氣を込めて物事を行う練習」をする事である。

たとえば手紙を書く間とか、又は読書する間とかいう時、その時間だけは絶対的に真剣になって行う。

自分が平素余り興味をもたぬ事、言い換えると氣乗りのせぬ事や、又は氣の急ぐような事、或は大して値打ちのない事、もしくは慣れ切って熟練している事を行う際は、


特に一層 「氣」 を打込んで行うように心がけるのである。


有意注意が習性化されると、思想の整理という事が自然的に巧妙に為されるようになり、同時に記憶力が頗る良好になる。

記憶力が良好となれば、その精神内容もまた豊富となり、同時に精神能力が優秀になるのは当然である。


何れにしても人間はその能力が完全でなければ、本当に人間としての生きがいを感じない事になる。

然もその能力までが万事に氣を打込んで行うという、皮相的に見ると至極平凡なような心構えの中から助長される事を思う時、かりそめの事と雖も一々苟くもせずという心構えを実行に移し、真剣に氣を打込んで万事に当るという心がけを営々として切磋琢磨し、完全に精神的筋骨を鍛え上げるようにしなければならない。

否こうして初めて万物の霊長たる人間の真価を発揮し得る事となるのである。


 『研心抄』(けんしんしょう)

  著者 中村天風





 2019年2月7日(木曜日)にこの本を買いました。当時2〜3度読み返し、大切と思える箇所に赤ラインを引き、真面目に読んだが正直難しくて読んでいても何を言っているのか?何が言いたいのか?だいたい字が難しくて読めませんでした。

あれから4年。有意注意という言葉は、もう7〜8年くらい前から知っていたので、この本を読んだ時も、あ〜・・・ 有意注意ね。

なんて舐めた考えで、何事も集中集中!集中すればいいんだろう!なんて、誰でも言っているし、そうすればいいんだろう。。。

などと完全に舐め切っていました。

でも今でも出来ていない。 だから・・・今でも出来ていない。


また先週から、この本を読み始めました。何が言いたいのか?何を言っているのか?以前よりは、少し分かってきたつもりで読んでいますけど。。


『有意注意』


この本を読んでいる時、読んだ箇所をアウトプット、スプレッドシートにまとめている時、と今が有意注意の練習。


集中!集中!と思ってもなかなか、その事に集中する事、思いを込める事が難しいと言いますか・・・ 集中?出来ない?出来ている時と、出来ていない時?なにがなんだか分からないので・・・


歩く時は、「今、俺は歩いてる。歩いてる。」と足の裏の感覚までも感じ取るように歩く。

食べる時は、「今、俺は食べている。食べている。」と一度一度箸を置き、よく噛み、今までにないような咀嚼で、その食物の味を味わい・・・

スリッパを脱ぐ時は、「今、俺はスリッパを脱ぐから、しっかりと揃えるぞ。」

用を足している時は、「しっかり出ろ!」笑

と誰も居ない時は言葉に出し、氣を打込んで練習を始めました。


本当の本当の自分。自分の本当の力、全部の力、全ての自分を発揮していない、出来ていない人がほとんどだと思います。(もちろん自分も)


一度きりの人生。本当の自身の力を発揮出来たら、なんと楽しい事かと思います。いや!絶対に面白いに決まっています。


どうぞご参考に「有意注意」自分のものにしてみて下さい。必ず違う世界が見えてきます。


京セラの 稲盛和夫様も近しい方に、「有意注意」という言葉と、「この本は良い、この本は良い!」と薦められていたそうです。


最後に


「人生を完全に活きる要素として、これを理想的に向上発達せしめるには、ただひとつ、訓練という事を現実にするより以外の手段は無い。」


と本書にありました。


貴重な時間。

私のnoteを読んでいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?