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【私見】科学的な勉強法がなぜ必要で、一刻も早く普及させなくてはならないのか?

勉強する対象の話題(英語、プログラミング、生成AI)は常に尽きないが、そもそも勉強法の正しい在り方についての議論は少ない。
1番重要なことは初等教育の早期の段階から正しい勉強法を身につけること。だが、勉強法自体を学ぶ機会はそもそもなく、何となく良さそうな方法をトライ&エラーで試している、というのが実態と思う。
結果として、再読、ハイライト、要約、書き写し、聴覚等インプット方法の調整など、科学的に実証されない勉強法を生涯続ける人も多いが、これは精神修行の意味はあるが勉強効果の意味は薄い。
以下の理由から、そもそも科学的に正しい勉強法を普及することが、一刻も早く必要ではないか?ということを考えた。
〇民主主義社会の担い手の育成
日本が選んだ社会の在り方とは、信仰でもなく王権でもなく、民主主義、それも単なる多数決というのではなく、人々の共通の利益を議論の中から決めていき、そのための手段を法のかたちで社会実装していく、というもの。
そのためには、人々が民主主義の担い手として成長しなくてはならないが、重要なこと重要性が都度変わる学ぶ対象ではなく、状況の変化に応じて必要な学び直しを継続する勉強法である。
近代教育の父である教育学者のコメニウスがいったとおり、誰もが知識を得られる普遍的な勉強法を普及させることが、民主主義を担う人々を育てることにつながる。
つまり、科学的根拠に基づく効率的な勉強方法を広めなくてはならないのではないか?
〇個人の幸福のため
社会に埋め込まれていた時代と異なり、大きく早く変化する社会の中で自身を定義し続けなければならない時代。
これは近代の特徴である再帰性(社会学者であるアンソニーギデンズの主張。近代の特徴には時間と空間の分離、社会的文脈からの解離、そして再帰性があるとした。)が加速しているとも言える。
これはチャレンジングでありしんどいが、変わり続けられることが楽しめれば、楽しい時代でもある。ゆえに、常に勉強することで、状況に合わせて自身を最も良いかたちで定義する必要がある。
そして勉強することで、自身にとって何が良いことなのか?という自分の評価基準を構築しならない。そうでなければ、資本主義社会においては、気づけば市場から評価されること、つまり金銭的価値になる、という評価基準に振り回されることになる。

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