にんげんになろうそれを誰かが悲しみと呼んでも

小さい頃から母親に普通に生きていてくれたらそれでいいからねと言われ続けていた

アタシの周りは不登校の子が多かった
そしてその不登校の子と仲がいいこともあってよく母に不登校の子の話をしていた
その時は あー、やっぱり人それぞれ辛いの大きさは違うんだねぇ、 みたいな感じで話していたでもその後すぐに
〇〇は強いもんね。何言われても言い返せるもんね。いつもなにか嫌なことされたらその倍にして返しちゃうもんね。〇〇は不登校なんかにならないよね。ちゃんと毎日元気に学校行って家に帰ってきてくれるよね。〇〇は大丈夫だもんね
と言われ続けていた
いじめられて自殺した子のニュースが流れてもこれを言われていた
毎日、〇〇は大丈夫だよねという暗示をかけられていた

中学1年生の頃学校に行くのがしんどかった時期でも母にそれを言われ続けてたせいで学校を休みたいなんて言えなくて、家を出てから学校に向かわずに小学1年生の頃からのおともだちの家にずっと居座っていた(この子も不登校の子)
その子の家はあったかくて、その子のお父さんに学校休んだ日は色んなところに連れて行ってくれた
その子のおばあちゃんの家にも一緒に行ったしイオンモールにも連れて行ってくれた
その子のお父さんが仕事の時は自転車2人乗りしてイオンモールに行ったりブックオフに行ったり古本市場にも行ったり色々なところに行った
警察にバレて補導されかけたこともあった
どこにも行かないで家で3角座り(体育座り?)をして2人並んで死にたいねと泣きながら話した日もあった
休んだら担任が親に電話をする仕組みだったから毎回バレては母に泣かれた
学校だけはちゃんと行ってよ。普通の子たちと同じようにしてよ。なんで学校に行ってくれないの?もうママあんたの育て方わからないよ。
と言われた
そんなこと言われたってアタシも普通の子になりたかったし、どう生きたらいいのかわからなかった
サボっていたのは週に1回あるかないかのペースでそれ以外はちゃんと毎日学校に行ってた
親に小学生の頃からずっと仲が良かった子にいじめられているなんて言えなくて、母を安心させたくて、毎日家に帰ったらありもしない仲の良かった子達との思い出話を母にしていた
慣れれば思い出話なんて適当にポンポン口から出てくるもので、いまでもたまにありもしないその日の思い出話を母にしてしまう時がある
口に出てから、あれ、これ経験してなくね?となる
口に出すまでは気づけない
学校に行った日は本当にしんどくて毎日トイレに行って泣きながら嘔吐していた
母が毎朝早起きして作ってくれたお弁当を食べてはお昼休みに吐き出してしまっていた
その罪悪感で余計に涙が出た
アタシは学年が上がるにつれ学校を休む回数が減って行ったし今では学校休むのは普通にめんどくさいからサボるって感じになった
そう思えばだいぶアタシは普通の子達に近づけているのかもしれない
でもその頃よりも希死念慮は強くなってるし、死にたい事実もその頃から変わらない
夜、寝れなくて泣きながらTwitterに吐き出している日も多いし死にたくて泣いていたら朝だったって言うことも稀じゃない
それでもあの頃に比べて学校にもちゃんと行くようになったしご飯も吐き出さなくなった

彼氏とか、病み垢界隈のフォロワーとか、ずっと仲が良いネッ友とかは そのままのおまえがすきだよ と言ってくれるけど、このまま立ち止まってるわけにはいかないしつるんだ所でなんの生産性の無い病み垢界隈の人に言われたからってそれはお互いの足を引っ張りあってるだけで所詮は自分が変わるの怖いから仲間を増やそうとしてるだけ
ずっと仲の良いネ友が言ってくれるのは慰めだと思う
こんなこと思ってしまうから人間関係が上手くいかないのかもだけど

アタシ、成長し続けるの怖いしこのままずっと病み垢界隈でみんなとつるんでいたいけど、アタシがアタシのことを好きになるにはいい加減変わらないといけないのかもしれない
大人になるまでに病み垢界隈から離れたい
若気の至りだったと言えるようになりたい
少しづつでいいから周りの人間と同じになれるように努力していかないとだね


( 対落 / センチミリメンタル )

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