フーガヲタクの繰り言
先日、ある音楽サイトでお付き合い頂いているクリエーター氏から聞いた話です。
倍速
イントロカット
ソロパート不要
というのが、最近の若者リスナーの視聴スタイルなんだとか。
のだそうです。
要するに若いリスナーは、時短の視聴スタイルなんですね。
イントロも、ソロによる間奏も、作り手にとっては、曲の世界観を表したりサビを演出するための腕の見せ所だと思うのですが、いきなりサビというのでは、作り甲斐も何もあったものではないでしょう。
音楽文化の行く末が案じられます。
☆
ところで、歌のイントロには、曲の世界観を最初に表現するという目的もありますが、歌い手に曲のテンポと歌い始めの音高・タイミングを教えるという実用的な機能もあります。
イントロを付けないと、一番困るのが歌い手さんです。
自分では歌わない私がそれを実感したのは、ふみさんとのコラボ曲をある音楽サイトに投稿した時でした。
その歌にはイントロがなくて、伴奏と歌が同時に始まるものだったのですが、ある方からのコメントに、こうありました。
どうやって歌い始めるのでしょうか?
それに対して、ふみさんのお返事は確か・・・
そうです・・・よね💦
という感じだったような記憶が^^;
曲の投稿は、ふみさんにして頂いたものだったので、私はだんまりを決め込んでいましたが、心の中では「指揮者を用意すればいいだけじゃん」と開き直っていた節がある。^^
まあ実際には、生演奏ではないですから、歌入れ用に別のトラックを用意して、そこに開始タイミングや開始の音の高さがわかる工夫をしています。
そうやって歌だけ録音して頂いて、それを伴奏のトラックとミックスしますので、歌と伴奏が揃って始まることになるわけです。
☆
それに関連して、もう一つ話題があります。
宣伝も兼ねてますが、一応この記事の〆にもなっています。
先日ふみさんから、私とのコラボによる新曲「お花畑」が公開されました。
ふみさんの詩に私が曲を付けて、ふみさんに歌って頂いたもので、こちらのリンクで紹介いただいています。
この曲は、歌が伴奏より遅れて始まります。
遅れるといっても半拍(八分休符一つ分)遅れてスタートするだけ。
ですので、八分音符が一つあるだけの大変に短いイントロといったところでしょうか。^^
見出し画像に入れたボーカル譜では、最初の八分休符のところがイントロ相当の箇所になります。
もちろん、ここは最低限のイントロ機能が内蔵されたイントロだ! などと強弁するつもりはありません。
この短さでは、生演奏には全く向かない作りですから。
ということで、この曲は一応、イントロカットと言ってよいでしょう。
また、ソロパートもありません。というかそもそもギターが入っていない。
倍速・・・と言えるかわかりませんが、アップテンポではあります。
こうして見ると、形の上では、最初に引用した若者の視聴スタイルに合致するのですが、それでも間違いなく聴いてもらえないでしょう。
その理由を挙げるなら、曲のスタイルが今様でない点がその最たるものですが、そのほかにもいくつか要素があります。
・サビが入っていない
・情感を抑制したバロック風の作りにしている
サビがないのは、私の好みなので、ここは妥協いたしません。^^
またバロック風の作りにしたのは、ふみさんからの「ばかばかしく」というリクエストを受けてのことでした。
「ばかばかしく」については、上のふみさんの記事にも書かれています。
バロック音楽は、情感が表に出にくい機械的な作りが特徴です。
ばかばかしいまでに愚直に、先行するメロディを追いかけたり、メロディの特定の部分を虚仮の一念のごとくひたすら反復したり。
それで、バロック風の作りにすることにしたのですが、バロック的な要素を強調しようとするあまり、「お花畑」では歌の曲ではこれまで試みていないことをやっています。
それは、フーガの書法を歌に取り入れたことです。
歌詞の「それでも目はひらいてる」のところから、厳密な書式ではありませんが、フガート(フーガ風)と呼ばれるような書法にしています。
それも、相当ばかばかしいです。
時代錯誤も甚だしいばかばかしさと、自信を持って言おう。^^;
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