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いつか見目麗しい女神様が(詞:ふみさん)

いつか見目麗しい女神様が」は、ふみさんの詩に私が曲付けした歌です。
こちらのnoteに、ふみさんが詩に込めた思いが綴られています。

私の記事では、作曲者の立場から、この歌ができた経緯などを紹介したいと思います。

いつか見目麗しい女神様が」は、4年前にふみさんから曲付けを依頼された九篇の詩の中の一つです。
その九篇のうち、七つは完成して公開済みですので、今回公開されたものは八つ目になります。

詩は、ふみさんが老人ホームでボランティア・ライブをされたときに感じたことを表現されたものと伺っています。

とても素敵な詩です。

詩への曲付けは、

詩を読んでメロディにして、歌ってメロディを直して、また歌って・・・

という一連の作業です。

その間、私の心には、ずっと亡き母への想いがありました。

私の母は、父が他界したあと、3年ほど一人で暮らしていました。
姉が隣町に住んでいましたので、母の世話はほとんど姉に任せっきりでした。
世話と言っても、買い物や病院通いなど、車が必要になる場面だけで、身の回りのことは何でも一人でできる状態でした。

当時私が住んでいたところから実家までは、新幹線と電車を乗り継いで片道三時間半ほど。
会社の仕事がありましたので、休日の土日を利用して、実家に一泊するパターンで母の様子を見に行っていました。
当初は、父が交通事故で亡くなった関係で、相続以外にもいろいろな雑務がありまして、だいたい月二回のペースで実家に参りました。
そういった雑務が終わってからは、まだ母も元気でしたので、月一回のペースで行っていたのですが、父が亡くなって3年ほど経ったころでしょうか、母の異変に気が付きました。

母は、食事は自分で作っていて、お米を研ぐのも炊くのも、おかず作りもごく普通にやっていました。
ところがある時、母から「お米を研いであるので、炊飯器にしかけておいてね」と頼まれたのですが、見ると炊飯器の内釜にあるはずの研いだお米が入っていないのです。

内釜には水しか入っていない!
それに、研いだはずのお米はどこにもない!

単なる思い違いだったのかもしれません。
でも、私にはショックでした。
母が毎日普通にやってきた仕事でしたから。

姉も似たような経験をしていると聞きました。

そろそろ母一人だけの生活は危ないかもしれない。

決定的だったのは、母が縁側で干し物をしている時に「倒れた」ことです。
たまたまセールスか何かで、母と縁側で立話をしていた人から聞いた話なので、はっきり分からないのですが、母はすぐに起き上がったということでした。
母は、それを覚えていないようでした。

大事には至らなかったものの、もう母を一人にしておくことはできません。

姉と相談して、介護付き老人ホームで面倒をみてもらおうという話になりました。

ホームでの母の生活は大きく変わりました。
私は、月一ペースで面会にいきました。
環境が激変することでストレスも大きかったと思いますが、母の口からそれを聞いたことはありません。
母は、昔から愚痴をこぼさない人でした。
母が愚痴を言うのを聞いたことがないという親戚もいます。

ホームで面会すると、どこそこに花見に行ったよ、といって写真を見せてくれたり、昔の思い出話をしたり。

そういえば、私が初めて聞いた昔話もありました。

それは、私は二人姉弟の末っ子なのですが、さらに下に末っ子がいたかもしれなかったという話でした。

高齢出産になるので、諦めたという話でした。
ドクターストップがかかったのかもしれません。

まあ、子供に言って聞かせるような話でもないので、特に秘密にしておいたというわけでもないと思います。
たぶん昔話ついでに出てきたのでしょう。

人生の最後を過ごしたホームで、母が私に見せてくれた微笑みは、忘れることができません。
それは、私の宝物です。
大切な、大切な思い出なのです。

この歌は、そんな母への思いを込めて作りました。

そして、ふみさんの歌声が、実に優しい。
すばらしい歌唱です。
絶唱です。

ふみさんがアップされたこちらの動画も素敵です。
よろしければどうぞご視聴ください。


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