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古楽器との出会い(私の音楽遍歴・その三)

これまで小・中学校時代の、私と音楽との関わりについて、音楽を作るという視点から書いてきた。
しかしながら、音楽との関わり方には、音楽を作るだけでなく、音楽を聴く対象とする場合もあれば、音楽を演奏するという関わり方もある。そしてどの関わり方をするにしても、極め尽くせないほど深いものがあると思っている。
高校時代から大学を卒業するまでの時期には、私の関わり方はひたすら音楽を聴くという形になっていた。その形になったのは、自分が置かれた環境の変化によるところが大きかったと思う。最初の変化は中学三年生の時に始まっていた。高校受験の準備である。私自身は、それまで通りの生活を続けても希望する高校へ進学できる自信があったのだが、親がそれを許さなかった。中学三年生になっても、ろくに勉強もしないで五線譜に暗号のような記号を書いている息子を見たら、確かに心配になって当然と思う。頼むから止めてくれ、と親に言われて、渋々従ったのだが、その結果私の「古い音楽帳」はその年の夏でジ・エンドになった。

とはいっても、音楽との関わりは終わらなかった。レコードを聴く時間が増えたのである。親に対しては、受験勉強で疲れた頭を休めるため、という都合のいい言い訳を用意してあった。

目指す高校に入ると、今度は大学受験だ。当然、曲作りを再開できるような環境ではない。
ピアノ教室もこの頃に辞めている。ただ、ピアノのでたらめ弾きだけは、父がいない隙に細々と続けていた。母には何も言われなかった。大切な息抜きの時間として認めてもらっていたのだと思う。

大学へは、一浪したものの志望していた大学に入ることができた。それから親元を離れてのアパート暮らしが始まった。アパートといっても、学生アパートだ。せいぜい6畳一間に簡単な自炊スペースだけ。当然ピアノは持っていけない。ピアノのでたらめ弾きは、帰省した時にはできたが、それを録音して採譜する時間もない。音楽との関わりはもっぱら「聴く」だけになった。しかしレコードは高い。当時はFM放送をカセットデッキに録音して聴くことが多かった。聴きたい曲があったら、隔週で出ていた番組ガイド雑誌を隈なく探す。だが聴きたい曲にはめったに出会えない。

 しょうがない
 あまり興味ないけど、これを聴いてみるか

ということで思わぬ発見をする。そうするとその周辺も聞いてみたくなる。
この繰り返しで、いろんなジャンルに対象が広がっていくのが普通ではないかと思うが、どうも私は普通ではなかったようだ。興味はまずバロック音楽に向かっていったのだが、しだいに古楽器といって、バロック時代に使われていた楽器(のコピー)を使って演奏されるものばかり聴くようになっていた。

特に好きになった楽器はハープシコードという鍵盤楽器。
チェンバロという名前で呼ばれることもある。
その音色を聴いているうちに、あろうことか、自分で演奏したくなってきた。

買うか? 高いだろうな。
その前に、狭いアパートに置けないじゃないか。
じゃあ、置けるくらいの小さいやつ(スピネット)ならどうだ?
楽器を置いても、その下は隙間があるし、寝るときは、そこに足を突っ込めば、横になれないこともなかろう。
しかし値段が・・・。
高級車が買えるな・・・。
完成版はそうだが、安いキットが販売されている。
自分で組み立てればいい。
といっても軽自動車が買える値段だ。
貧乏学生にはとても無理だな。
高根の花だ。

自問自答の結果、ハープシコードは諦めざるを得なかったが、大学院へ進学する直前の時期、別の種類の鍵盤楽器、それも、スティービー・ワンダーが愛用したという楽器を手に入れることになる。(続く)

当時、買いたくても買えなかったスピネットという小型ハープシコードは、現在仮想音源として私のPCの中にあります。それを使って作ったDTMを一つ紹介したいと思います。

曲は、フランス盛期バロック音楽の作曲家ジャン=フランソワ・ダンドリューの作りました鍵盤作品「オルフェの竪琴」です。
なお、ジャケットに使った画像は、当時制作キットとして販売されていたスピネットの完成図(販売用カタログより)です。一方、音はこれと異なるスピネットからサンプリングされた音源を使って出しています。


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