前回の記事はこちら。 今思い返してみて、なぜ私はここまでコミュニティに執着していたのか。 それは「自分の居場所が欲しかったから」に他ならない。 私は役にたっている、何かに貢献することができている、そんな自己肯定と承認を外部に求めすぎていたんだろうなと思う。 だから収入が低くても、エアコンが自室についてないボロい古民家でQOLの低い生活をしてても、仕事や活動が大変で自分の時間がなかなかとれなくても我慢ができていたのだと思う。 当時、婚活もしていたけど全部全部外部環境や相手
彼は私のアホなところがすきらしい。「女の子はアホなくらいがちょうどかわいいの」が彼の口癖。 らしいんだけど、私は今までそんなこと言われたこともなかったし、 「スイは真面目だね〜」って言われてきたほうが多かったから 自分で自分のことをしっかり者って思ってた。 しっかりものって思ってたからこそ、誤字脱字とか書類作成の小さなミスから、日常生活での大きな過失が重なって自分が嫌になってメンタルがめちゃくちゃ落ち込んでたときがあった。 その時期に自分と向き合って 「もしかしたらAD
最近になってようやく自分の「特性」について気づいた話。 突然ですが、自分の「アホさ」について振り返ってみようと思う ▶︎すぐ忘れる 長期記憶はできるのに、自分にとってかなり些細なことはすぐに忘れてしまう。いろいろ工夫はしてるんだけれども、それでも見落とすことがある。 身近なところでいうと、鍵を閉め忘れたり、スイッチを切り忘れたり 買い物も同じで、買おうと思っていたものを買えなかったり。 タスクを実行しようとしているorしているときに、思考がなにかに奪われて、そっちに意
市民活動をやめたら転職して給料あがったし一人暮らしもできるようになったし趣味も楽しめるようになったしともだちもたくさんできたし彼氏もできました。※一個人の感想です。
付き合って1ヶ月が過ぎた。今まで生きてきて、それなりにお付き合いもして、恋人の数より経験人数の方が多いっていうなかなか散々な恋愛をしてきたスイだけど、婚活アプリじゃなくて、趣味からつながったSNSで奇跡的にお付き合いすることができた。 はっきりいって沼です。 今までほぼ毎日寝落ち&おはよう通話なんてしたことないし、こんなにたくさん「愛してる」とか「大好きだよ」とか「かわいい」とか言われたこともないし、すっごく大事にしてくれるし、自由にフレンドと遊ばせてくれるし、尊重してく
先日、マッチングアプリでお付き合いした彼とあっけない最後をむかえてから、3ヶ月後に彼氏ができた。 相手はtwitterで以前からちょくちょくゲームで遊んでた人。 たまたま二人で遊んで雑談してたときに、またタイミングが合ったら飲もうよ〜って話をしてた。 その時からこの人一緒に遊んでて楽しいし、遊ぶタイミングも同じだし誘いやすい人だな〜とけっこう好印象を抱いていた。 ゲームの名前と声とふわっとしたノリ・雰囲気くらいしかしらないのに。 実はその時にまだ懲りずにアプリをやって
リアルアカウント消して本当に良かった。心が平穏すぎる。好きな人たちと好きなだけ絡める世界線。
これは私の話。私は人から「優しいね」とか「懐深いね」とか言われることがたまにあるんだけど、いつも心の中で「全然そんなことないよ」って思ってる。 全部自分が可愛いからやってるだけ。 怒るのが面倒だから怒ってないだけ。怒ったときの関係性の悪化とか、今後のコミュニケーションに差し障りがあるからっていうデメリットを考えてしまう。だから怒らない。相手に期待もしてないからアドバイスなどの指摘もしない。(本当に大事な人や期待している人には指摘したりする) そもそも怒るのは感情エネルギ
人間関係のあれこれをボソボソかいてる私だけど たまには恋愛関係のこともかいてみようと思う。 婚活遍歴について 5年前くらいから、実家がボンボンのマザコン元彼と別れてそこからふとマッチングアプリを使い始めた。 はじめたときは彼氏いればいいな〜〜くらいの軽いノリ。そこからゆるゆるとやってる。無駄にやってる年月が多いからいいねの数もそれなりだし、ちょっと知ってる人からみれば地雷臭漂うアカウントになってるのはご愛嬌。 アプリで結局5人くらいと付き合った。 付き合わないとわからない
婚活で「この人とすごく話が続くから気が合うかも?」というのは幻想。いままでの生い立ちをお互いに喋ってたらそりゃあ話も続くと思う。大切なのはお互いをだいたいしってからどんなコミュニケーションをするかなんだよな〜
一人ひとりと向き合うのにそんなに心を砕くの大変じゃない?適当でいいんだよ適当で。ぜんぜん器用なんかじゃないよ。
同僚の話 「仕事でよい(と本人が思っていること)を提案しても否定された…」 と相手が悪いかのようにボヤいてるけど、あなたも無駄だと(自分が思っている)仕事は「共感できない」といってやりたがらないし、「それって意味なくないですか?」って代替案もなしに否定するよね?同じことしてるんだって気づいてる? 提案もこちらに届いてはいないし、思ったり言ったりしているだけで行動には移さないよね。 本音は「やることやってから言えよ」である。「意見しても反論されるから、やりたくないことは
スイの独断と偏見によるもので一般論ではありません。あしからず。 大学生のころ、「まちづくり」という言葉にハマり、地域の活動をしたり いろんなコミュニティーに顔をだしてみたり、市民活動団体の運営を狂ったようにやっていた時期があった。 「モノが氾濫している今はモノよりコトづくりが大事なんだ!」 と意気込んでまちづくりについて学んでいた。 当時「コミュニティデザイン」という思想に完全に染まっていた。 本も論文もたくさん読んだ。 自助共助、地域コミュニティとの縁、人と人との絆
私はあまり他人に興味がない。 会社の同僚、家族、恋人、友人など自分にとって近しい人や、大事にしたいな、と思ってる人は別だけれど、それから少しでも離れてしまうととたんに興味がなくなる。 近しい人であっても、そんなに興味がもてないこともある。 例えば記念日、誕生日、無頓着だし、SNSの友人お祝い企画も億劫だなって思うこともあるし、同僚でも友人でも会話のネタとして身の回りのことは把握していたりするけど、実はそんなに興味を持てない人がいたりする(笑 好きの反対は無関心派です。
今まで、恋愛的な出会いで、仕事や趣味の出会いで いろんな人と出会ってきました。 その過程で、自分が苦手だな、無理! と思った性格の人をまとめてみました。 自戒のためにも。 価値観をおしつけてくる人 女性はこうあるべき、男性はこうあるべき、社会人はこうあるべき 今時は少なくなってきているとおもいますが、べき論を唱える人は嫌い。 自分の考えがあるのはいいことだと思うけど、それを他人に押し付けたり マウントを取る人は本当に嫌い。 仕事でも「社風だから」といって同調圧力をかけ
と最近感じる。 そもそも共感ってなに? 「相手の気持ちによりそうこと」 「ともに喜び、ともに悲しむこと」 らしい。 映画をみたりゲームで感動したシーンは 涙溢れちゃうことも多いので、感情がないわけではない。 でも他人には興味がない。 相手の気持ちは理解できるが共感はできないことが多い。 でも嫌われることが怖い。 そこから考えてみて、 傷つくのが怖いからあえて他人と一定の距離を置くようにして、 興味を持たないようにしているんじゃないかな〜 と自己分析してみた。