自分が正しいという想像力の足りない大人達にならないように。
外に出て仕事をする生活を始めて、しばらく経ちました。
新しく始めることにつきものも、「いろいろ教えられる時期」
私、これ苦手だったんだなと思いました。
自分で経験して、自分にとって一番いい方法を見つけていきたい人です。
でも、仕事で教えられることは「こうしなさい」というものばかり。
雇われて働くんだから当たり前なのは、分かってる。
自分が雇う側だったら、お客さんに対して従業員にはこう接して欲しいという気持ちもわかる。
それが根拠のあるものなら。
でも、その人の独断と偏見のやり方に対しては、すぐに理解できない。
気分で決められたものとか、お客さんが求めていないこととか。
なんでそのやり方でやる必要があるのか分からないとできない。
こういうことを書くと、めんどくさい奴と思われてしまいそう。
もしかしたら、私はめんどくさい奴なのかも。
なにも疑問に思わず、はいはい言ってやるのが生きる上での賢さなのかも。
そう思った私は、
「それをやる必要があるのか、過度なそれは必要なのか。」と思っても聞くのを辞めた。
はいはいと返事をして、順々になっておくほうが楽なんだと分かった。
そう思えるようになってできるようになった私は、大人になったのかも。
それか、つまらない人になったのか。
うーん、でも、つまらない人になった気はしない。
自分の考えを言っていい人(聞いてくれる人、理解してくれる人)を見抜けるようになったんだと思った。
賢くなったんじゃないかなとも思った。
今まで、いろんな人と出会った。
20歳そこそこの人間に、寝る間を惜しむまで熱中したことはないのかと聞いてくるおじいさん。
私が意見を言ったら、反論だと怒鳴り、キレた指導担当者。
コロナで一年目ほぼ通常通り仕事ができなかった二年目の人に対して、去年何してたのと聞いてくるおばさん。
慌てて忙しくすることが仕事だと思っているおばさん。
想像力が足りない。
自分と違う考え方を知った時、それは間違っていると言える人は、想像力が足りてないと思う。
この記事を読んでくださっている人の中には、
自分を擁護していると思う人もいるかもしれない。
そう思われたとしても、私は自分の考えをそういう人たちのために無くしてしまうのは嫌だ。
自分が年を重ねて、おばさんと言われるようになった時
自分の考え方が正しいと言わない人になっていたい
私は、年を重ねた人の役割は、自分より長く生きていない人の考え方を理解しようとしたり、考えていることを受け止めてあげることだと思う。
だって相手(年下)は、自分より生きてない。
知らなくて当たり前。
意見を言えて当たり前だと思う。
私は、年上の人に自分の考えを伝えて理解してもらったこともあるし、違う年上の人には、こういうもんなんだよと受け入れてもらえなかったこともある。
その二つを経験したから、思ったことがあって
年下の人の話を理解してくれる人は、昔の自分と重ねているんじゃないかと思った。自分で答えを出すことが大事と思っているから、こうなんだとは言わない。そうなんだねと言って、否定しない。
私は絶対自分が苦手な、おじさんおばさん年長者になりたくない。ならない。
昔のやり方のまま今の時代を過ごそうとする考えが嫌だ。
今を生きているのに、なんで昔のやり方、考え方が通用すると思えるのか分からない。
普遍的なものは何もないのに。
嫌だ嫌だとだけ言っていた子から、嫌なことを言ってくる相手の気持ちを想像するようになった私は、賢くなったかも。
昔自分が嫌だといった大人にならないように気を付けたい。
無自覚でなっているかもしれないのが、すごく怖い。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
自分の意見、考えはこれからも守っていきたいです。
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